50周年を迎えたEUの関税同盟

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モノ・ヒト・サービス・資本の移動が自由になった今日のEU単一市場。その礎である「関税同盟」の完成から、今年でちょうど50年が経った。英国のEU脱退を巡る動きやEU加盟候補国トルコとの関係を含め、半世紀にわたる関税同盟の軌跡を振り返る。執筆は、田中俊郎慶應義塾大学名誉教授/ジャン・モネ・チェア・アド・ペルソナム。

関税同盟の構築から始まった欧州の経済統合

「関税同盟(customs union)」とは、複数の国々がお互いに課している関税を廃止または軽減するとともに、域外諸国に共通の関税を課す取り決めを結んで形成した地域を指す。2018年は、欧州連合(EU)の原加盟6カ国(ベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、いずれも当時)が1968年7月1日に関税同盟を完成してから50周年の節目に当たる。

関税同盟完成50周年記念のロゴ

EUの礎を築いた欧州経済共同体(EEC)設立条約(1957年3月25日調印、EU MAG 2017年3月号「特集」を参照)は、域内の障壁を撤廃し、モノ・ヒト・サービス・資本が国境を越えて自由に移動する「共同市場(a common market)」を設立することを目的にしていたが、条約がその基礎に置くものとして最も詳細に規定したのが、関税同盟および数量制限の禁止であった。

そもそも関税同盟は、19世紀初頭に「世界の工場」であった英国の工業製品に対抗し、国際競争力が弱かった当時のプロイセンの産業を保護する目的で、経済学者フリードリッヒ・リストらによって考案され、ドイツ帝国統一の手段として実行に移された。その意味で関税同盟は、域外の第三国に対して保護主義的な性格を有する。

一方、EECの原加盟6カ国は全て、第二次世界大戦後の国際的経済秩序を形成した「関税および貿易に関する一般協定(GATT、今日の世界貿易機関:WTO)」の締約国であり、締約国は自由・多角的・無差別の貿易の原則に従うこととなっている。しかし、EEC関税同盟は、他の締約国との間の貿易に対する障壁を引き上げないことを前提に、関税同盟や自由貿易圏を設定することを認めているGATT協定第24条によって、例外的に認められていたものであった。

EEC に直接つながる実験は、第二次世界大戦中にロンドンへ亡命していたベルギー、オランダ、ルクセンブルクの政府が1944年9月に調印した、ベネルクス関税同盟協定であった。これは1948年に始動し、1960年にはベネルクス経済同盟(ベネルクス経済同盟は、実質的にはEU単一市場に吸収されたが、組織的には現在でも残っており、三国間における事前協議の仕組みとなっている)へと発展させた。

EEC条約は、第9条から第37条までを使って、関税同盟の構築と数量制限の禁止を詳細に定めていた。1957年1月1日を基準として、12年の過渡期を3段階(各段階の中でも、さらに年度目標を設定)にわたり、構成国間の関税(域内関税)を撤廃し、同時にこれまで加盟国ごとに異なっていた域外国(例えば、米国や日本)に対する関税の共通化を推進し、対外共通関税を設定することを目指した。

簡素化、一本化、共通化で欧州統合の進展に貢献

1950年代の終わりから1960年代にかけて起こった西欧の経済成長に助けられて、この目標は前倒しにされ、関税同盟は1968年7月1日に予定より1年半早く完成した。それまで、加盟国ごとに異なっていた何百もの輸出入関連事務文書が「単一行政文書(Single Administrative Document)」に統一されたことで、大幅に簡素化された。それと同時に、例えばオランダの港で陸揚げされた貨物が、ベルギーを経由して輸入国フランスに移送される場合などで「共通通過システム(common transit system)」が導入され、貨物の通過処理が一本化された。第三国に対する対外共通関税の権限は、加盟国からEECに移譲されることとなっており、それを含めた共通通商政策がEEC条約(第110条から第116条)に規定されており、1970年から始動した。

モノ(goods)に対する域内関税は全廃され、対外共通関税(加盟国が取る10%の徴収手数料を除く)は、農業課徴金などと共に、EUの固有財源に組み入れられている。しかし、モノの自由移動を妨げるのは関税だけでなく、数量制限も障壁となる。そこでEECでは、輸出入に対する数量制限、およびこれと同等の効果を有する措置も域内で禁止されていた(EEC条約第30条~第34条)。一方、例外もある。第36条は、公共道徳、公の秩序、公共の安全、人畜の健康および生命の保護、植物の保存、国宝の保護(美術的、歴史的、考古学的価値のあるもの)、工業的・商業的所有権の保護を理由に、加盟国が禁止的あるいは制限的な措置を取ることができると定めていた。

しかし、これが「非関税障壁」を生むことになる。関税同盟の完成後も、「非関税障壁」の撤廃は遅々として進まず、大市場のスケールメリット効果も生まれなかった。1980年代前半には「欧州動脈硬化症」とさえ言われ、将来に対する「欧州悲観論」が流布していた。

そのような危機を打破し、欧州統合を再建しようとしたのが、1987年7月に発効した「単一欧州議定書(Single European Act)」(EU MAG 2017年9・10月号「ニュースの背景」を参照)であった。単一欧州議定書は、EEC条約の「共同市場」を「域内市場(internal market)」に衣替えし、今日の「単一市場(single market)」の構築の基礎となった。域内市場は、「モノ・ヒト・サービス・資本の自由な移動が保証された国境のない領域」という定義付けが行われ、遅くとも1992年12月末までに漸進的に完成するという期限が設定された。その間、それまで大量の共同体の規則や指令などに散逸して立法化されていたものを統一し、共同体関税法体系(Community Customs Code)が導入され、モノの自由移動が現実となった。さらに2016年には、EU関税法体系(Union Customs Code)が発効し、関税手続き業務の近代化と立法の調和を推進し、ITの利用で業務の負担軽減を図っている。

ブリュッセル空港内では、ここ数カ月間、旅客に向けて「関税同盟50周年」を記念して製作されたビデオが随所で上映されている
Photo: https://twitter.com/EU_Taxud

EU関税同盟の歴史(1968年~2018年)を振り返る年表とビデオはこちら

進化するEU関税同盟のシステム

EUは、原加盟の6カ国から出発し、6次にわたる拡大によって、加盟国を28カ国に増やしてきた。新規の加盟国は、それぞれの加盟条約に定められた過渡期間に応じて、域内関税を撤廃し、対外関税を共通化して、関税同盟の一員となってきた。

一方、その間にも通関文書はデジタル化され、貨物の共通通過システムについてもコンピューターが導入されていった。2005年には、税関リスク管理システム(Customs Risk Management System)が導入され、880カ所以上の税関事務所を結び、危険と不正に関わる情報の交換を始めた。システムは常に最新化されており、通関業務の完全機械化は2020年12月末が目標となっている。

現行のEU機能条約(Treaty of Functioning of the European Union)でも、第30条から第32条までが関税同盟、第33条が税関協力、第34条から第37条までが数量制限の禁止が定められ、関税同盟が「単一市場(条約上では依然として域内市場)」の中核であることを示している。関税同盟完成50周年を祝うEUの文書には、EU関税同盟の基本的な機能として、(1)正当な貿易を推奨し、競争力を向上させる、(2)EUへの輸入に関して関税と課徴金が正しく支払われることを担保する、(3)貿易政策手段を実施に移す、(4)多くの異なった有害物から市民と環境を保護する、(5)偽造や知的財産権侵害と闘う、(6)詐欺、密輸、組織犯罪、麻薬、テロなどの撲滅を支援する、という6点が例示されている。

EU28カ国では共通のルールに基づき、11万4,000人強の税関職員が24時間監視体制で、陸上国境、空港、港湾などで不法なモノ・危険なモノがEUに持ち込まれるのを防止し、合法的な貿易の流通を確保している。

EU域内の税関で差し押さえられた偽造品の数々。税関職員による厳戒な監視体制は、合法的な貿易にとって欠かせない
© European Union, 1995-2018

EU関税同盟のさまざまな役割を説明するビデオはこちら

関税同盟を巡るトルコおよび英国との関係

なお、EUが域外国と締結する通商協定は、基本的には自由貿易協定(FTA)であり、関税同盟は、アンドラやサンマリノなどのミニ国家と、トルコとの間のみで結ばれている。しかしトルコとの関税同盟は、その規模の大きさゆえに唯一の例外といえよう(トルコはEUの第4位の輸出先、第5位の輸入先の国であり、またEUは群を抜いてトルコの第1位の貿易相手となっている〈2017年の統計〉)。1995年末に発効したEU・トルコ関税同盟協定は、全ての工業製品に適用されているが、農業(加工農産品を除く)、サービス、公共調達は対象となっていない。2016年12月に欧州委員会は、関税同盟の近代化、サービス、公共調達、持続可能な開発などの分野で、二国間貿易関係を拡張することを提案し、EU理事会で検討されている。

なおトルコは1987年4月にEUへの加盟申請を行い、1999年12月に加盟候補国に認定された。2005年10月には加盟交渉が正式に開始されたが、その進捗は遅い。

また関税同盟は、英国のEU脱退との関係でも話題に上っている。脱退交渉が正式に始まる前から、英国はヒトの移動に対する管理権を取り戻したかった一方で、EUは単一市場を構成するモノ・ヒト・サービス・資本の自由移動は4つの要素として不可分であり、ヒトの自由移動だけを分離させることは認めないと主張。これを受けて、テリーザ・メイ英首相は、国民投票から10カ月経った2017年1月17日、EU単一市場と関税同盟からの完全離脱を表明した。その上で、EUと英国との間には、脱退後の包括的な自由貿易協定を締結することを発表し、「強硬離脱」の立場を明確にしていた。他方、野党第1党の労働党のジェレミー・コービン党首は、離脱の影響を緩和するために、EUとの新たな関税同盟の締結を提案していた。

しかし、脱退予定日の2019年3月29日が刻々と近づく中、メイ首相は2018年7月に英国の交渉方針について閣内意見の集約を行い、EUの単一市場と関税同盟から英国は離脱するものの、EUとの間に共通のルールに則った工業製品と農産物に関する自由貿易圏を作ることや、就学・就労に関する新たな枠組みを創設することなどを提案し、EUとの協調を重視する「穏健離脱」の姿勢へと舵を切った。とはいえ、それらの提案が実現するかどうかは、デービッド・デービスEU離脱担当大臣をはじめとする英国の主要閣僚の辞任が相次ぐ中、英国政府内で意見がまとまるか、さらに残された時間内でEUと離脱交渉が進むか次第である。無協定の可能性も否定できない。

執筆:田中俊郎(慶應義塾大学名誉教授/ジャン・モネ・チェア・アド・ペルソナム)

※本稿は執筆者による解説であり、必ずしもEUや加盟国の見解を代表するものではありません。