2014.7.30
Q & A
「忘れられる権利」判決の概要 |
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所有していた不動産が競売に掛けられたことを報じた10年以上前の新聞記事が、インターネットで自分の名前を検索した際の検索結果に今も表示されるのはプライバシーの侵害だとして、スペイン人男性がインターネット検索大手グーグルを提訴した。この裁判で、2014年5月、欧州連合(EU)司法裁判所がプライバシー保護の観点からグーグルなどの検索企業は、一定の条件下でリンクを削除する義務がある、という「忘れられる権利」を認める判決を出した。
この判決を受けグーグルは、EUの利用者を対象に検索結果に含まれる自分に関する情報の削除要請を受け付けるサービスを開始した。 |
EUには、EU加盟国同士が締結した国際条約である基本条約およびEU基本権憲章と、それに基づいてEU理事会や欧州議会(共同の場合もあり)または欧州委員会が採択する「規則(regulations)」、「指令(directives)」、「決定(decisions)」等とで構成される「EU法」(総称)があります。なお、「規則」は各加盟国の政府や企業および自然人の行動を直接規制し、「指令」は加盟国が当該指令の目的を任意の方法で実施に移すことを要請し、「決定」は特定の国・企業・個人を拘束します。
各加盟国の裁判官は、加盟国においても効力を有するEU法を加盟国法と同様に国内に適用する役割を担います。しかし、国内裁判官は必ずしもEU法について熟知しているわけではありません。国内裁判官がEU法の解釈等について判断できない問題がある場合、EU司法裁判所に質問をすることができます。また、場合によっては質問をしなければなりません。それが先決付託(the reference for a preliminary ruling)と呼ばれるEU独自の司法手続きです。
先決付託手続きの流れは次のとおりです。国内裁判官は、自らの判断では解決できないEU法の問題に直面した場合、国内裁判を一時中断し、EU法に関する質問をEU司法裁判所に送ります。例えば「指令の規定は、検索エンジンが不要な個人情報のリンクを削除するよう求めていると解釈されるか」という質問です。それに対する「先決判決」と呼ばれるEU司法裁判所の回答を得た後、国内裁判所は、回答に示されたEU法の解釈を基にEU法を適用し、最終的な国内裁判の判決を下します。
このように、EU司法裁判所はEU法規定の意味を明らかにするのみで、EU司法裁判所により解釈されたEU法規定を特定の事件に適用することは、国内裁判所に委ねられています。そのため、EU司法裁判所と国内裁判所との関係は、上下関係ではなく、協力関係であると考えられています。なお、EU司法裁判所の判例もまた、EU法としての効力を持っています。
一般的な国際条約の場合には、締約国の国内裁判所がそれぞれ自国の憲法に従い、当該条約の解釈・適用を行うため、同じ条約が関わる事案であっても判決が締約国によって異なるということが起こりますが、EU法の場合、EU司法裁判所の先決付託手続きが設けられているため、EUのどの加盟国においてもEU法の解釈が統一され、EU法の統一的な適用が確保されます。実際にこれまでEU司法裁判所は、先決判決によって「EU法の優越性」の判理などを確立してきました。
「EU法の優越性」とは、国内法がEU法に抵触する場合でも常にEU法が国内法に優先するという原則です。つまりEU法は、通常の国際条約とは異なり、どの加盟国においても加盟国法に優先し、同じように解釈・適用されるのです。このように、EU法は、先決付託手続きを通じて、国際法とは異なる独自の「新たな法秩序」となったのです。
今回の事例ではスペインの裁判所に申し立てられた訴訟に関して、先決付託手続きが用いられ、1995年に発効したEUの個人情報保護指令に基づき、EU司法裁判所がその解釈を示す形で判決を出しました。判決では、申立人に関する過去の新聞記事へのリンクを、検索結果から削除することをグーグルに要求できる「忘れられる権利」が認められました。EUの居住者に限定したサービスとして、同様の削除要請の受け付けを開始しています。
個人情報保護指令はEUが基本的価値のひとつと位置づける人権のうち、個人情報保護を保障するために制定されました。同指令に規定されているこの基本権は、後に2000年12月にフランスのニースで宣言されたEU基本権憲章(the Charter of Fundamental Rights of the EU)によって再確認・明確化されました。EU基本権憲章はその後、2009年12月1日に発効したリスボン条約によって基本条約と同等の法的拘束力を付与されています。同憲章の第8条には「個人情報の保護」について明記されており、一方、第11条には「表現および情報の(入手・開示の)自由」も基本権のひとつとして規定されています。
今回の判決が示した「忘れられる権利」や個人情報保護指令の解釈は、あくまでEUの基本権憲章に基づいたものですから、必ずしも常に「忘れられる権利」だけが認められるわけではありません。例えば、公人に関する情報の場合は削除要求が却下される場合があります。判決文にも示された通り、削除要求の内容によってはリンクの削除がEU基本権憲章第11条の「公衆の知る権利」を奪うことにもなりかねないからです。そのため、「情報が正しいか、適切か、妥当か(どれくらい過去のことかも含め)」といった基準に照らして、上記の2つの基本権のバランスを鑑みながらケースごとに判断されます。
EUの司法や基本権、市民権を担当する欧州委員会のヴィヴィアン・レディング副委員長(当時)は、判決を受けて、「“忘れられる権利”と“知る権利”は相対する関係ではなく、むしろ相いれ合う関係なのです」と、コメントしています。
個人情報保護指令は発効からすでに19年が経過しており、現在のインターネット時代に適応させるため、内容を改訂した個人情報保護規則の草案が2012年に欧州委員会から提案されています。この中には「忘れられる権利」も明文化され、現在、法案の審議が進められています。
オンラインサービスの急速な普及に伴い、現行のEU個人情報保護指令の規定では、プライバシー保護の観点からEU居住者の個人データに関する枠組みを明確にしきれない側面もあります。そのひとつが、対象となるデータの管理者の規定、つまり世界中からアクセス可能な検索エンジンを提供する事業者に対して、指令の対象か否かをどのように定義するか、という問題です。今回の判決では、まずグーグルのような検索エンジンも個人データの管理者と同等であるという判断がなされました。そして、現行の指令ではEU域内に事業所やデータ処理の設備を持つ管理者が対象とされていますが、今回の判決では、グーグルという米国の多国籍企業、つまりEU域外に拠点を持つ事業者であってもEU加盟国内に支店や営業所があり、広告スペースの販売活動を行っているのであれば、EU法の適用対象だと判断されました。
とはいえ、今回の判決結果がすぐに世界中の事業者、例えば日本の消費者向けにネットビジネスを行っている企業に直接影響を与えることはありません。ですが、かつて1995年にEUが個人情報保護指令を制定したことが、日本における個人情報保護法の制定に対してひとつの原動力になったように、各国への間接的な影響力は無視できないでしょう。
今回のEU司法裁判所の判示はスペインの裁判所の要請に応じたものであり、今回のEU司法裁判所の解釈を基に、今後、各国の裁判所が最終的な司法判断を下すことになります。また個人データの管理者である事業者が個人からの削除要請を拒否した場合等は、その個人は各国に設置されているプライバシー保護機関もしくは裁判所に申し立てることが可能となっています。
現在検討が進められている新たなEU個人情報保護規則においては、今回の判決が示した「忘れられる権利」に対する制限の明確化とEU域外への適用範囲について盛り込まれる予定となっています。EU司法裁判所としては、基本的人権のひとつである個人情報保護の権利を適切に守るとともに、知る権利とのバランスを保つというEUの基本姿勢を、現代に即した形で世界各国に先駆けて示したといえるでしょう。
監修、Q1・Q2執筆:東史彦(慶應義塾大学大学院法務研究科 非常勤講師)
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