2016.4.26
FEATURE
欧州連合(EU)が競争力強化、雇用と繁栄のために力を注いでいるのが研究・イノベーションの推進。EUの資金助成機関「欧州研究会議(ERC:European Research Council)」は、最先端研究分野において、世界中の卓越した頭脳を持つ研究者を支援する目的で2007年に創設された。受給者からはノーベル賞受賞者が5人も出るなど、科学の歴史に名を残しつつあるERC。その活動を紹介する。
「トカゲのように身体の一部を自分で簡単に再生できないだろうか」、「台所のミキサーで、世界で一番強靭な物質を作れたらいいのに」・・・・・・。常識的には、突拍子もない考えと一笑されてしまうようなアイデアも、優秀な頭脳を備えた科学者にとっては、画期的な研究の第一歩となる可能性がある。実用性が低くても失敗のリスクがあっても、研究者の先進性を評価し、欧州で研究する機会を与えるのが「欧州研究会議(以下、ERC)」の方針だ。
EUは1984年に、多年次資金助成プログラム「研究・技術開発枠組み計画(Framework Programme=FP)」を開始し、2013年まで7次にわたって、研究・イノベーションを推進してきた。ERCは、第7次研究枠組み計画(FP7、2007年〜2013年)の一環として2007年に設置され、2014年からは第8次研究枠組み計画にあたる「ホライズン2020」の下で活動が続けられている。ホライズン2020は、2014年から7年間で約800億ユーロの予算が計上されている助成計画で、その3つの柱の一つ「卓越した科学(Excellent Science)」の下、ERCを通じて130億9,500万ユーロが最先端研究に助成されることになっている。この額は、ホライズン2020全体の17%に相当し、FP7の7年間にERC充てられていた助成額の倍以上にあたり、ERCがいかに高く評価されているかを物語っている。
ERCは、研究機関や研究者から研究テーマを公募し、第三者の審査により、優れたテーマに助成する「競争的資金配分」を行っている。研究はあくまで研究者主導であり、助成する側からテーマを与えることはない。潤沢な助成資金で国籍を問わず世界中の秀でた研究者を引きつけると同時に頭脳流出を防ぎ、ひいてはその研究を通じて科学技術の発展を促進し、長期的に人々の生活と経済発展に寄与することが期待されている。
世界中の秀でた研究者を支援しているということは、ERCの資金受給者からこれまでに5人のノーベル賞受賞者が出ていることからも明らかだ。2010年にコンスタンチン・ノボセロフ氏が物理学賞を、また2012年にセルジュ・アロシュ氏が同じく物理学賞を受賞。2014年には経済学賞にジャン・ティロール氏、生理学・医学賞にエドバルド・モーセル氏、マイブリット・モーセル氏が選ばれるなど、ERCの資金受給者の科学の発展への貢献度は際立ったものといえる。
ERCの助成制度では、全世界でフロンティア研究(先端的研究)に挑む研究者からプロジェクトの応募を受け付け、選考する。選考基準は「科学技術上の優秀性」のみだ。研究分野による優劣、国別の配分、政治的な影響などの要因は全て排除される。
2007年の創設から9年目に入り、すでに5,000人以上の科学者たちがERCの助成を受けてきた。研究テーマは、「量子電子光学と量子コンピュータラボ」、「紀元前3,000〜2,000年の北欧温暖地における移動・伝播・変異」、「人間の協調と社会学習において他者の考えを理解するための表象的前提条件」といった、物理学・自然科学・社会科学など広範な分野にわたっている。
出典:欧州委員会発行の「Commission en Direct#26」(2015年11月号)より転載。数値は発行時のもの
フロンティア研究は、必ずしも実用性が高くないために、研究費用の捻出という点で挫折することが少なくない。ERCはこうした研究にこそ手を差し伸べ、独創的でリスクの高い、研究者主導のプロジェクトを支援する。と同時に、役所的な面倒くさい手続きを極力排除し利用しやすい制度にしている。受給者にとっては、ERCの助成制度を利用することで、独自の研究に専念できるだけでなく、研究者としてキャリアアップを図ることができる。
EUの行政執行機関である欧州委員会で研究・科学・イノベーションを担当するカルロス・モエダス委員はERCの功績について、「ERCが助成する最先端研究は、私たちの知の領域を拡大してきた。歴史を振り返ると、こうした研究こそが予測の難しい、しかし重要な発見につながり、私たちの生活を改善してきたのだ」と話す。
現在、ERCの助成金には、以下の4種類がある。
このうち、ERC総予算の3分の2は、若手助成金と独立移行助成金に充当されている。 実績は乏しくても、大きな可能性を秘めた若き研究者たちを支援し、早期に自立する近道を提供している。 5年間にわたって支給されるコンセプト実証助成金以外は、研究期間の半分を欧州の研究機関で過ごすことを義務付けているが、残りの期間については、欧州以外の国で研究を行うこともできる。第三国出身の研究者にとっては自国とEUの懸け橋ともなれる、この柔軟性は大きな魅力であろう。
助成制度の実行部隊となるのは、ERC内の「科学審議会」(Scientific Council )である。同審議会は22人の科学者で構成される。彼らは科学界7人の世界的権威による中立的な「識別委員会」(Identification Committee)の推奨を受け、 欧州委員会が任命した、トップレベルの科学者たちだ。
科学審議会は「科学者による、科学者のための」助成制度をモットーに、ERCの学術面と予算面両方の戦略を決定し、ワークプログラムの策定、応募研究評価の方法論決定、応募研究を選考するパネルメンバーの選出などを行う。ERC議長であるフランス人数学者のジャン=ピエール・ブルギニョン氏(元フランス高等科学研究所[IHÉS]所長)が、科学審議会の座長を兼務している。
ERCの理念を実現する、つまり実施面を担っているのが「ERC執行機関」(ERC Executive Agency=ERCEA)」だ。欧州委員会研究イノベーション総局のロバート=ヤン・スミッツ総局長がERCEAの運営委員長を務め、総勢425人の職員が公募の実施、応募者への情報提供とサポート、査読(ピアレビュー)評価の取りまとめ、管理などを行っている。 「ERCは、私たちが実施してきた施策の中でも、最善のものの一つ」とスミッツ総局長。受給者の中からノーベル賞以外にも、フィールズ賞3人、ウルフ賞5人など重要な科学賞の受賞者が出たことで実績を示した今、ERCはEUの科学技術政策を代表する組織として、欧州内外から大きな注目を集めている。
ERCの助成で最先端研究を続ける日本人研究者
日本とEUは、科学技術イノベーション分野においても緊密な関係を築いており、相互に関心のある希少原料、ナノテクノロジー、健康、食料安全保障、ICTなどの分野を中心に相互協力を続けてきた。2009年には科学技術協力協定に署名、同協定は2011年3月29日に発効した。また、2015年5月29日には日・EUの首脳が定期首脳協議で「日・EU間の研究・イノベーションにおける新たな戦略的パートナーシップに関する共同ビジョン」を承認している。また同日、EUの行政執行機関である欧州委員会ならびにERCと日本の研究助成機関である日本学術振興会が、ERCが支給する助成金の受給者によって組織される「ERC研究チーム」に日本人研究員が特別参加する取り決めを締結(関連報道資料はこちら)。ERC助成金への公募とは別に、日本の研究者がERCの研究プロジェクトを現地で体験できる環境を整えた。この取り組みは、「Open to the world(世界に門戸を開く)」をモットーとするERCがここ数年開始したイニシアチブで、米国、中国、韓国、日本など7カ国の助成機関と締結、この先も増える予定だ。
日本人のERC助成金の受給状況をみると、2015年までに19人の研究者が受給しており、このうち18人が若手助成金の受給者である。EU加盟国以外の国籍の助成受給者ランキングでは、世界6位(円グラフ参照)。とはいえ、首位の米国の受給者数の一割程度にとどまっているのが現状だ。
出典:「ERC Europe(Twitter)」(2016年3月10日)
日本人受給者の専門分野は、「分子構造生物学および生物化学」「細胞・発生生物学」「合成化学・合成物質」が各3人で最も多い。さらに、2016年4月14日に発表された新たなERC上級助成金受給者277人の中にも、日本人が3人含まれている。3人ともが「生命科学」の研究での受給だ。
2012年度の受給者の1人である堀正樹博士は、「反物質」を制御する新技術の開発が専門分野。堀氏は2000年に東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程を修了、2007年に欧州科学財団による第4回ヨーロッパ若手研究者賞を日本人として初受賞し、同年ドイツのマックス・プランク量子光学研究所に着任した。ノーベル物理学賞の受賞者であるテオドール=ヴォルフガング・ヘンシュ教授の下、独立研究室を運営しながら、2012年に5回目の応募でERCの助成金を獲得。現在も同研究所を拠点に、ERCの助成プロジェクトとして反物質の研究を進めている。
堀氏は、昨年11 月に東京で開催のサイエンスアゴラで、EUのトークイベント「ヨーロッパライトステージ」に参加、プレゼンテーションを行い、ERCの助成制度にも言及した。同氏は発表内容の一部を『欧州の科学技術庁や科学者の寛容さについて』と題して、「この研究(反物質制御の新技術開発)は、リスクが高く、出口戦略がなく、やっている研究者も実績のない若者ばかりでした。日本で研究者として育った私が審査員でしたら、こんなものはダメだと言っていたと思います。基礎研究への哲学について、見習うべき部分があります」と述べている。きわめて野心的な研究プロジェクトに挑戦したい研究者にとっては、その道筋を探すヒントとなったに違いない。
ERCに関するより詳しい情報はこちら(英語)
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