2012.12.10
EU-JAPAN
大使公邸の「お抱えシェフ」といえば、本国から連れてくるケースも少なくないと聞く。欧州連合(EU)の場合はどうだろうか。オーストリア人のハンス・ディートマール・シュヴァイスグート大使が日本赴任に際して指名したのは、美食の国フランス出身の若きシェフだった。
フランソワ・オードランさん、30歳。前職は、「クリスティーナ・O」のエグゼクティブシェフ。ギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスが生前に所有し、自身とジャッキー・ケネディとの結婚パーティーにも使った伝説のメガヨットだ。現在は世界のセレブリティが超豪華なパーティーを開くために利用する。
「食材にはいくらお金を使っても構わなかった。億万長者のために、夢を生み出す仕事だからね。料理人として非常に恵まれた、豊かな4年間だった。その代わり、シーズン中はゆっくり寝る暇もないほど、ノンストップで働いたよ。共通の知人を通じてシュヴァイスグート大使から受けた誘いは、この“戦場”から解放される唯一のチャンスだった。これでようやく家庭を築くことができると思ったよ」
料理上手な祖母や母の影響で、子どものときから料理人になるのが夢だったオードランさん。見習い期間を経て仕事に就いてから、ほぼ1年で海外へ武者修行に出た。
「英語を勉強して、外国で働きたいと思ったんだ。父は常々、僕にこう言っていた。『料理人になるのはいい。ただし炊事係にはなるな』ってね。フランスにいたら、たくさんいる料理人のうちのひとりにすぎない。ところが外国に行けば“フランス人シェフ”と呼ばれる。この違いは大きいと考えたよ」
アイルランドの高級リゾートホテル「アデア・マナー」、英国一のフランス料理シェフと謳われるアラン・ルー氏の3つ星レストラン「ウォーターサイド・イン」をはじめ、スペイン、イタリア、スイスなど各地の有名店を渡り歩く。カリブ海を航行する船で働いたこともあった。
あるとき、そんな“放浪生活”に区切りをつけて、フランスに帰ることに。当時付き合っていたガールフレンドに「そろそろ落ち着いて」と懇願されたためだった。ところが帰国してからの生活は退屈。ちょうどそんなとき、以前働いた船で知り合った親友から電話があった。彼は「クリスティーナ・O」のマネージャーになっていて、スーシェフ(副料理長)を探していたのだ。まさに渡りに船!
スーシェフを1年半務めた後、26歳で名高いセレブ御用達ヨットのエグゼクティブシェフに登りつめた。
「僕はどこへ行ってもいつも一番若いんだ。船で働いていた時は、テーブルに挨拶に行くと『ご苦労さん。シェフを呼んできておくれ』なんて言われる。『私がシェフですが』と言っても信じられなくてね(笑)。年上の料理人に指示を出すのも苦労した。でもそれで人とうまく付き合う方法を学んだんだ」
シソ、ワサビ、味噌など、日本独自の食材を採り入れるオードランさん。日本に来てから、自分の料理のスタイルが進化したのを感じるという。もちろん最初はまったく未知の味覚に舌を慣らすのが大変だった。
「僕はわかったふりをするのが嫌だから、時間をかけた。理解するのに少なくとも2年はかかったね。最初食べられなかったものも、今ではおいしいと思える」
「無理は失敗の元」。自分の味覚に忠実であることを心がけながら、日本人である大使夫人と相談しながら、その日のゲストに応じてメニューを決める。
しかし「EUの料理」とは何だろう? ゲストをもてなすとき、どんな特色を出せばいいのか?
「まさにそこが難しいところなんだ。基本的には、日本やアジアのゲストには欧州の料理を出す。フランス料理ばかりじゃないよ。僕は欧州のいろいろな国にいたから、料理の幅が広いんだ。“ベストセラー”というような、各国の代表的な料理でもてなす。一方、EUから来日したゲストには、日本のテイストを利かせた“フュージョン料理”を味わってもらう。例えばスズキをフライにしてワサビを利かせる。鹿肉のフィレをシソで巻いて、南瓜のピュレとレモンのコンフィを添える、とかね」
日本の食材については、野菜が高いのが不満だ。
「クリスティーナ・Oと違って、ここでは予算を考えないと!(笑)欧州は危機にある。EUの大使は自分がお手本を見せる必要を感じていて、贅沢にはとても厳しいんだ。賓客を招くとき以外は、トリュフもフォワグラもキャビアも一切ダメ。でも、おいしい料理を作るのに贅沢品は必要ない。たとえばパスタはお金がかからないけれど、工夫しだいで大使夫人はとても喜んでくれる」
なるほど、EU大使のゲストに供される一品ともなれば、普通に想像するパスタ料理とは一線を画する。特別にご覧いただこう、おなじみのスパゲッティも、オードラン・シェフの手にかかると……!(写真)
2011年の3月11日、大地震のときは、自宅で料理の下ごしらえをしていた。数日後、フランス大使館の勧めで日本を離れ、仕事でタイにいた婚約者(現在の夫人)に合流した。
「フランスに帰る気はなかった。向こうでは情報が錯そうしていて、必要以上に不安を煽られたくなかったんだ。大使から指示があったら、いつでも日本に帰るつもりでいて、2週間後には東京に戻ったよ。僕の生活はここにあるんだからね。日本人をとても尊敬していて、彼らと苦痛を共にするのが当然だと思った」
そんな思いは、のちに被災地に乗り込んだ彼の行動にも表れている。一般にはあまり知られていないが、在日フランス人シェフを中心に東北の被災地で活動する「ラ・キャラバン」という炊き出し隊がある。日仏のボランティア、支援団体、スポンサー企業の協力を得て、現在まで23回にわたり累計8,000食以上を被災者たちに提供している。オードランさんも3度参加した。
東北の被災地を訪れた際、同行したフランス大使公邸シェフのセバスチャン・マルタン氏にある相談をもちかけた。今年のヨーロッパ・デー(EU創設記念日、5月9日)のレセプションで、大勢のゲストに食事を提供するための協力を頼んだのだった。ほかの国の大使館シェフにも声をかけ、全部で9人がEUのゲスト数百人に腕を振るった。
このイベントの成功をきっかけに、大使公邸シェフのネットワークを広げる目的で発足したのがUnion Internationale des Chefs d’Ambassadeurs(UICA、国際大使シェフ連盟―編集部仮訳)。発起人のオードランさんが最年少ながら初代会長に就任した。
「大使公邸の料理人というのは、僕もそうだけど、フランスなど特別な例を除いて、たいてい一人きり。人手が足りないとか、道具が足りないとかいうときに、連絡を取り合えたらどんなに助かるだろうという発想で始めたんだ」
現在、メンバーはEU加盟国の大使館シェフ以外にも広がり、26人に増えた。このネットワークをもっと大きくするのがこれからの夢だ。
「まだ自分が成功した、なんて言うつもりはないよ。才能はもちろんだけど、運も必要。人との出会いも含めてね。あとは、根気強くやること、高い意欲をもつこと、仕事を愛すること。料理人とは“恋する人”なんだ。常にハートで人と接する。頭で考えるより、ハートで感じて、手で仕事する。料理に、そして食べてもらう人に愛情を注ぐこと。それが大使夫妻であろうと、大スターであろうと、友達や家族だろうと同じなんだ」
(2012年11月14日 インタビュー取材)
料理を通じたコミュニケーション「Cooking with Kids」 |
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「料理は愛情」というオードランさんのコミュニケーション力が大いに発揮されたイベントが「Cooking with Kids」。日本と欧州の子どもたちが料理教室を通じて交流し、同時にEUの存在や意義を身近に感じられるように、という趣旨で企画され、今回が初めての開催となった。
オードランさんの傍らには、東京・勝どき「寿司のはし田」二代目でありながら、UICAのメンバーにも名を連ねる盟友・橋田健二郎さん。両シェフの指導の下、12歳から14歳の8人が日欧2人組4チームに分かれ、各班が1)カクテル+アミューズブーシュ、2)前菜、3)メインディッシュ、4)デザート+小菓子を担当、本格的なコース料理に挑戦した。 最初はおっかなびっくり、包丁を持つ手も危なっかしかった子どもたちが、次第にてきぱきと自分のパートをこなすようになり、およそ2時間にわたる奮闘の末、家族ら20人近くの「ゲスト」に料理をふるまった。 日本語、英語、フランス語、ドイツ語その他が飛び交い、アペリティフのカクテル(子ども向けにはノンアルコールも用意)は青と黄色の“EUカラー”、マカロンには単一通貨「ユーロ」のマーク。随所にEUらしさがちりばめられたイベントは大成功で幕を閉じた。 「初の試みだからプレッシャーはあった。終わってホッとしたけど、次はもっとこうしたい、と反省してしまうね。チームで働くときのモットーは『気分よく』。調理場は“戦場”で、怒鳴り合いも日常茶飯事だけど、僕はそれが嫌で、仲間とは常に明るく楽しい雰囲気を分かち合いたい。これが今日、子どもたちに伝えたかったことのひとつだね」 (2012年11月17日、駐日EU代表部「ヨーロッパハウス」[東京・南麻布]にて) |
プロフィール
フランソワ・オードラン François AUDRIN
1982年フランス・ナント生まれ。ホテル外食専門高校で料理の勉強を開始。2002年、ミシュラン2つ星のレストラン、ル・シャビシューでプロのキャリアをスタートさせた後、アイルランド、英国、スイスなど海外の有名店で腕を磨く。メガヨット「クリスティーナ・O」のエグゼクティブ・シェフを経て、2011年1月よりEU大使公邸シェフに。
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