2015.7.23
EU-JAPAN
1992年の真打ち昇進以来、味わい深い古典落語でファンに愛されてきた三遊亭竜楽さん。2008年から「2カ月の準備期間で、世界中の国で現地語公演」というモットーを新たに掲げ、外国語での落語公演を精力的に続けている。世界各地を訪ねながら古典落語を8カ国語(含む日本語)で演じる竜楽さんに、文化の垣根を越えて愛される落語の魅力と可能性について伺った。
1986年に5代目三遊亭圓楽に入門、1992年に真打ちに昇進し、古典落語の名手として活動してきた三遊亭竜楽さん。2008年に、ひょんなことから海外公演の依頼が舞い込んだ。
「ある知人から、イタリアで落語をやってみないかとお誘いいただいたんです。面白そうなので引き受けましたが、よく話しを聞いたら渡航費も出ない。そこで家内も連れて旅行のつもりで行くことにしました」。その後、聴き手のほとんどがイタリア人で、字幕の費用もないことも判明。「そもそも落語は、しぐさや間合いから生じる想像の世界を楽しむもので、字幕に頼ると楽しめないのは確かなのですが……」。主催者から「小噺ぐらいならイタリア語でできますか」と聞かれ、勢いで「いいですよ、イタリア語でやりましょう」と言ってしまったのが外国語で落語を始めるきっかけとなったそうだ。
渡欧以前から、東京農工大や東大で留学生向けに落語を披露してきたという竜楽さん。全編日本語で演じても、外国人に十分通じるという自信はあった。ヨーロッパでは、たとえ内容が理解できなくとも日本語の美しい響きが聞きたいという要望が多い。そこでイタリアでは、日本語と現地語を併用するスタイルで「ちりとてちん」を演じると、これが、全てイタリア語で行う落語以上に大好評。あらすじを説明しておけば、観客は字幕なしで本物の話芸を味わい、母国語のオチに爆笑して落語の面白さを堪能できることを知った。イタリア公演の後はフランス公演の依頼が舞い込んだ。「よく笑うイタリア人が最初だったので、背中を押された感じです。イタリアとは国民性が全く異なるフランスでも成功したので、落語は世界中で受け入れられると確信するようになりました」。
演目を選ぶ条件は、世界中どこでも起こり得るストーリーであること。「ちりとてちん」、「気の長短」、「味噌豆」、「河豚鍋(ふぐなべ)」、「親子酒」、「あくび指南」など、人間の根源的な欲望や性質を題材にした演目がレパートリーに加わっている。翻訳は、公演の依頼者がやってくれるので心配ない。ドイツ語のティル・ワインガートナーさん(アイルランド・コーク大学准教授)、フランス語のシリル・コピーニさん(在日フランス大使館職員)は、共に日本語で落語が演じられるほど日本の伝統的な笑いを理解している。彼らのようなパートナーから、さまざまなイベントへの出演依頼が舞い込んでくる。
竜楽さんのモットーは「2カ月の準備期間で、世界中の国で現地語公演」というものだが、外国語の習得方法は独特だ。翻訳が届くと、まずは全文をカタカナにして暗記してしまう。ひと通り覚えたら実際の音を聞き返して発音やイントネーションが本物に近くなるよう修正し、満足なレベルに達した段階で初めて意味を調べる。「音で完全に覚えておけば、きっかけの言葉ひとつで台詞が口をついて出てきます。逆に言葉の意味から覚えてしまうと、忘れたときに出てこないのが厄介なんです」。複数国で公演するときは、自分の中で言語を切り替えるために、終えた公演の国の言葉はすぐに忘れるようにして、次の公演国の言葉は、入国する直前に練習を始めるとのこと。「野村万作先生にご指導いただいている狂言の稽古も役立っています。複雑な語りは、間、強弱、緩急、高低を身体に叩き込むしかない。しぐさの印象的な見せ方も、狂言から学びました」。
海外で落語を演じるというと、ついつい語学力に注目してしまうが、実は「言葉」にするほど伝わりにくくなるのも落語の世界である。竜楽さんは、目線、表情、しぐさで多くを語り、キーワードだけをシンプルに伝えて、観客の想像力を掻き立てる。この想像力が、文化の差を乗り越える。「キセルを吸うシーンを演じながら、キセルに関する事前説明を忘れたことに気付きました。でも日本と同様に演技を続けたら、扇子をキセルに見立てて演じるしぐさから、『なるほど。日本式のパイプだな』と想像してくれたんです。恐らく私が本物のキセルをくわえたら、さまざまな違和感が生じたでしょう。落語の強みを知った瞬間でした」。
演者も観客も、侍に会ったことがある人などいない。それぞれが、頭の中に自分の「江戸」を描いている。つまり落語は、知識、理解力、感性にどんなバラつきがあっても、全員が一つの空間を共有し、楽しめる芸なのだ。
ヨーロッパで演じる難しさは、ほとんど感じない。その理由は、ヨーロッパ人特有の精神風土にあるという。 「ヨーロッパは、笑いが個人主義。つまり自分が楽しければ笑います。反対に、日本の笑いは集団主義で、みんなの総意がないと笑えません。ヨーロッパで他人同士が挨拶するのは、敵かもしれない相手と挨拶して、会話して、笑い合って安心したいから。笑いは生活必需品だったんです」。落語を演じる際の違いは、「しぐさ」だ。日本と海外では、数を数える指の立て方が異なる。また、日本流に手招きをすると「帰れ」の意味になる。否定文に同意するとき、日本ではうなずくが、ヨーロッパでは首を横に振ることが多い。「でも、しぐさを除けば、外国での落語の演じ方は日本の寄席のときと変わりませんね。むしろ日本文化に興味がない日本人相手よりもやりやすい(笑)」。
お国柄による反応の違いは興味深い。最も笑うのはイタリア人。台詞が聞こえなくなると困るので、あえて笑わせない工夫をすることもあるのだとか。対照的に、フランス人は観察好き。細かい演技に反応してくれるので、どんどんしぐさが繊細になるという。「お笑いそっちのけで、芸を堪能しているんですね。滑稽噺がウケないのに心地良いなんて体験は、世界広しといえどもフランスだけです」。ドイツ公演に反対する者は多かった。「世界で一番薄い本はドイツのジョーク集」などという冗談があるほど、ドイツ人には堅物なイメージがある。しかし予想に反して、ドイツ公演は次々に成功を収めた。「あとは考えてね、と観客の想像に委ねる落語の芸質が、思索好きの国民性にフィットしたのかも。ドイツでやりにくいと感じたことはありません」。今、気になっているのは、まだ訪れていない英国のこと。「客席に英国人がいると、いつもポイントを外さず笑ってくれるんです。早く行ってみたいですね」。
今春は中国語落語もマスター。来年は中国本土での公演も決まっている。「米国公演も経験して、間や余韻への理解が深いヨーロッパ人の特徴がわかりました。米国では常に動いていることが好まれるため、10秒黙ったら事故だと思われます。しかし、フランス人なら3分黙ってもじっと見ていてくれるでしょう。芸能の歴史が長いヨーロッパで、それぞれに特徴的な国をまず経験できたのは幸運でした」。日本語を含めた8言語で、世界の多くの地域をカバーできる。現在の目標は、東京オリンピックを追い風にして、一人でも多くの人に落語の魅力を伝えることだ。「私の落語が歓迎されるのは、お客さんの母国語でやっているから。英語は世界語ですが、それだけでは不十分です。各国の文化を大切にして向き合えば、日本の笑いが世界を駆け巡る日も来るでしょう」。 来年11月には、今までにない刺激的な仕掛けを使って、パリで浮世絵とのコラボレーション落語も行う。現在スポンサーを募集中とのことだ。
海外公演を続ける竜楽さんが直面しているのは、日本の伝統芸能に関する認知度がまだまだ低いという現実だ。「世界で仕事をしている日本の芸術家は、ほとんど西洋人が作りだした芸術分野。日本固有の芸能は、たまに行われるセレモニーでしかないんです。でも一人で演じられる落語なら、渡航費などの経費も抑えられ、状況を変えられるかもしれません。私がモデルを示して、自分もできると思った人たちが後に続けるような道筋を作りたいですね」。
イタリアで実施されたアンケートによると、日本文化で特に関心が高いのは歴史や伝統文化。人気のアニメは第8位にすぎなかった。そんな大人のクールジャパンのニーズに応えたいと竜楽さんは願っている。「全てを見せてしまうメディア社会において、豊かな想像力を取り戻すために落語ほど効果的な芸能はないでしょう――あるドイツの老教授がそう言ってくれました。社会がいくら便利になっても、人間を癒やすのは人間。ヨーロッパで公演するようになって、そんな落語の値打ちにあらためて気付きました」。
群馬県生まれ。中央大学法学部卒業後、1986年5代目三遊亭圓楽に入門。1992年真打ちに昇進する。にっかん飛切り落語会若手落語家努力賞、国立演芸場花形演芸大賞銀賞などを受賞。2008年より字幕・通訳無しの現地語公演を始め、毎年ヨーロッパを訪れ、7カ国語落語(日本語、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語)を達成。現在では中国語も含めて8カ国語での落語をマスター。これまでに8カ国35都市で約140回以上の公演を行っている。2015年の上半期はすでに単身でドイツの9公演をこなしている。オール日本語字幕付きのDVD「三遊亭竜楽の七カ国語RAKUGO」(スロウボールレコーズ)が発売中。
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