小さな宇宙「BONSAI」の魅力を伝える英国人

東京都江戸川区の「春花園(しゅんかえん)」は、美術館を有する都内屈指の盆栽園。園主であり、著名な盆栽作家でもある小林國雄さんの下には、未来の盆栽作家を目指す外国人の弟子入り希望者が引きも切らない。小林氏に6年間師事した英国人のピーター・ウォーレンさんは、今や人気盆栽作家として世界を舞台に活躍中だ。来日中のピーターさんに、盆栽の魅力、これからの夢、世界の盆栽事情などについて話を聞いた。

ワールドカップ観戦で来日し、そのまま盆栽修業

「私が一番辛かった時期を支えてくれたのがピーターでした 」と語る師匠の小林國雄さん(右)

春花園の広大な庭には、見事な枝ぶりの鉢植えがずらりと並び、その光景はまさに「緑の小宇宙」。木造の母屋から「こんにちは」と出迎えてくれたのは、僧侶のように穏やかなピーター・ウォーレンさんだった。

英国生まれのピーターさんが、初めて来日したのは2002年のこと。英国の大学を卒業後、欧州から遠く離れた全く違う世界に住んでみたいと思い、ちょうどサッカーのワールドカップが開催されていた日本を行き先に選んだ。高額なチケットでイングランド対スウェーデン戦を観戦すると貯金も底を尽き、英会話講師の仕事を見つけて働き始めた。

もともと日本の文化には関心があった。とりわけ日本庭園に憧れていたことから、東京近郊の盆栽園ツアーに参加したのが、この道に入るきっかけとなった。初めて間近に盆栽を見てその美しさに感動した。「すぐに、自然の力や美しさを鉢の上でコントロールする盆栽の世界に魅了されました。ツアーで訪ねた盆栽園の中で、唯一教室を開催していたのが、この春花園だったんです。当時から外国人の受講者も受け入れていたので言葉の心配もありません。次の日曜日から、ここに毎週通い始めました」。

その同じ年、ピーターさんは前年に結んだ英会話講師の年次契約を更改しなかった。仕事を辞めて小林國雄さんに弟子入りを願ったのである。盆栽園に住み込んで下働きをする昔ながらの内弟子だ。ピーターさんの修業は、通算で6年に及んだ。人生を変える決断だった。「無我夢中でした。休みは月に一度だけ。雨が降ったら鉢植えへの水やりがないので、『天がくれた休日』だと喜んでいましたね」とピーターさん。

今でこそ大勢の弟子たちが行き交う春花園だが、当時は2年ほどピーターさんが1人で盆栽園の雑務をこなす時期もあった。親方と慕われる小林さんが当時を振り返る。「ピーターは、私が盆栽界の閉鎖性と闘って孤立し、いちばん辛かった時期を支えてくれた大切な弟子。今では生徒が80人ぐらいいますが、そのうち半分は外国人です。私も海外に行く機会も増え、盆栽のグローバル化は進んでいますよ」。

プロの盆栽作家として英国で独立

自宅の工房「Saruyama」で、盆栽づくりに没頭するピーターさん

修業を通じてピーターさんは、盆栽の細かな技術を貪欲に見出していった。「実際に修業をしてみると、自分で盆栽作品を作る面白さをどんどん深く知ることになります。これは、盆栽に出会った時と同じくらいに新鮮な感覚でした。命の力、木の力を引き出す技術を身につける喜びは格別ですね」。

それにしても、20代前半の外国人にとって、6年間という修業期間は長すぎるのではないだろうか。ピーターさんによれば「6年という時間は、盆栽を学ぶのにちょうどいい長さです」とのこと。最初の3年間はひたすら技術を覚えていく。季節が3周するうちに、ようやくひと通りの素養が身に付くのだという。その後の3年間は、学んだ技術をもとに経験を深めることに費やされる。「精神的に成長して、自信も付いてくるのが後半の3年間です。盆栽園にやってくるお客さんともたくさん話すようになりました。親方と直接話すのは気が引ける初心者の方でも、私たち弟子となら気楽に話ができます。そんな感じで大勢の盆栽愛好家と知り合い、プロになる心の準備が整っていきました」。

「盆栽だけで生計を立てよう、世界を相手に勝負しよう」――そう覚悟を決めたピーターさんは、30歳で英国に戻ると、ロンドン南部の自宅に自分の工房「Saruyama」を構えた。猿山の大将みたいに威張った人間にならないよう、工房には、自分への戒めを含んだ名称を付けたのだという。

それ以来、自分の盆栽を育てながら、日本で学んだ技術を伝えるべく、盆栽づくりに憧れる一般愛好家のためにワークショップを開催している。英国各地はもちろん、イタリア、スペイン、米国などにも生徒がいるというから驚きだ。「春と秋は、毎週末にどこかでワークショップがあります。対照的にローシーズンの夏と冬は、自分の木をしっかりと手入れします。重い物を運ぶので、先日ヘルニアになってしまいました。やはり盆栽は身体が資本ですね」。

ピーターさんが執筆した書籍「bonsai」では、盆栽の歴史、手入れ方法、テクニックなどが写真や図解で分かりやすく解説されている

欧州で人気を集める盆栽

日本ではあまり知られていないが、欧州の盆栽熱は驚くほどに高く、アマチュア作家のコミュニティも年々拡大している。「盆栽だけで生計を立てているプロが、英国内にも15人ほどいます。セミプロはさらに多く、彼らとの価格競争がなかなか熾烈なんですよ」。

欧州でも、盆栽愛好家には男性が多く、余暇が増えた40~60代が中心だという。1回3~4万円の個人レッスンを希望する熱心な生徒もいるが、8人程度の参加者を集めて行うワークショップが人気だ。参加費は1人5千~1万円程度である。「ひとたび始めると熱中してしまうのが盆栽の魔力。生徒さんの庭は、どこも盆栽だらけになっていますよ」。英国の園芸センターでは、よく安価な中国製の盆栽が売られている。これが盆栽への興味の入り口になるのだという。古くは映画『ベストキッド』などで盆栽の世界を知って憧れた人たちもいた。園芸店では盆栽用の木も手に入る。日本の松を輸入しているほか、「ムゴ松」と呼ばれる欧州産の松や、欧州産のブナも使用する。

その他、いかにも欧州独特の素材といえば、オリーブやローズマリーなどだ。このようにグローバルな盆栽の世界を1冊にまとめた書籍『bonsai』を、ピーターさんは2014年に出版している。盆栽の歴史や手入れ方法などをフルカラーで図解し、執筆に半年以上を費やした224ページの力作だ。

ピーターさんの知る限り、盆栽愛好家は英国だけで約8千人もいる。そのうち500~600人ほどが特に熱心なファンだという。現在、欧州でもっとも盆栽が盛んなのはスペイン。「イタリアも古くから盆栽が盛んですが、スペインが追い抜きました。スペイン国内の盆栽愛好家は約1万人。そのうちセミプロレベルが約2千人もいます。優秀な先生も多いので、まだまだ成長するでしょう」。

毎年2月にベルギーのハッセルトで開催される国際盆栽ショーには、欧州を中心に世界中から6千~7千人もの盆栽愛好家がやってくる。このようなショーに出品する生徒たちを応援するのもピーターさんの仕事の一つ。「アマチュア盆栽家が作品を発表する場は、欧州にもたくさんあります。その一方で、プロの発表の機会は希少です。私が出品する場合は、実験的な作品を発表して、盆栽芸術の可能性を問い掛けるようにしています」。

ピーターさんが作った盆栽作品の一部

BONSAIアートの未来を育てる

約1,300年前に中国で生まれた盆栽は、約800年前に日本に渡って独自に進化した。しかし日本の盆栽人口は減少している。小林さんによると、40年前には4万人以上いた日本国内の盆栽人口も、今では約8千人に減ってしまった。小林さんは「日本の盆栽界が閉鎖的になってしまったのも事実ですが、これからはもっと視野を広く持たなければなりません。欧州と米国はもちろん、最近は中国に熱烈な盆栽ファンが増えています」と話す。

大きな展覧会などに合わせて、ピーターさんは今でもよく日本にやってくる。内弟子時代と同様、春花園に寝泊まりするので宿泊費はかからない。盆栽への情熱は、修業時代よりもさらに強まっている。人生を捧げるに値する、盆栽の魅力とは何だろう。ピーターさんは「木に愛情を注ぎながら、一心同体になれるのが盆栽の喜び。無理に枝を曲げると折れたり枯れたりするので、自分の気持ちをコントロールしながら手を入れます。手を入れないと美しくならないし、手を入れ過ぎると枯れる。それが盆栽の本質ですね」とその魅力を語る。

盆栽家としての目標は、「とにかくいい木を作って育てること。そして盆栽でちゃんと生計を立てること。盆栽の文化を世界に広めるため、次世代のBONSAIアーティストをしっかりと育てていくこと」とピーターさんは語った。

ピーター・ウォーレン Peter WARREN

盆栽作家。英国・ロンドンの西に位置するハイウィカムに生まれ、レスター大学で宇宙物理学を専攻。大学卒業後、2002年に来日し、盆栽家の小林國雄(春花園主宰)氏に師事。通算6年に及ぶ住み込み修業で盆栽を学び、2010年にロンドンで自身の工房「Saruyama」を開業。盆栽愛好家を対象にしたワークショップを世界各地で開催している。2014年には著書『bonsai』を出版した。