2014.1.21

EU-JAPAN

日本と欧州の絆を強めたい――新任外交官たち

日本と欧州の絆を強めたい――新任外交官たち

日本における欧州連合(EU)の代表機関である駐日EU代表部は、本誌EU MAGを統括する広報部を含む5つの部があり、さまざまな国籍、文化的背景を持つ外交官たちが力を合わせて日本とEUの連携を深めるべく活動している。彼らはこれまで日本とどのように関わり、4年間の任期にどのような意欲を持って臨んでいるのだろうか。2013年秋に着任した3人の外交官にインタビューした。

セーラ・ウテン参事官・広報部部長: 豊富な滞日経験とネットワークを生かして

代表部の広報部長に着任したのは昨年10月。だが、実は日本を「第2の母国」と呼ぶほど、豊富な滞日経験を持つ。初めて来日したのは1996年。英国外務省(FCO)から派遣されて1年間鎌倉に住んで日本語を学び、英国副領事として大阪に赴任。1999年からは領事として名古屋で3年間働いた。この7年にわたる日本勤務で、日本語はもちろん、現地の生活にもすっかりなじんだと言う。

大阪には当時サンヨー、シャープ、パナソニックなどの本社があり、それぞれの研究開発施設もあった。商務担当副領事として、主に英国製品や技術の対日輸出促進に携わった。「力を入れていたのは英国の大学などで研究開発されていた先端技術を製品化するために日英の仲介をすること。日本企業はいいパートナーでした」。

「にぎやかなビジネスの街」大阪に次いで赴任した名古屋はとても気に入ったそうだ。まず、都市として「ちょうどいいサイズ」で、週末には30分もあれば郊外に出られること、そして温かい人間関係がその魅力だったと言う。「領事として仕事は増えましたが、人々は親しみやすく、仕事上での人間関係はとても良かった」。

平日は夜遅くまでみっちり仕事をしても、週末は山にハイキングに出かけ、何時間も山歩きを楽しんだ。「休日は緑に囲まれてリフレッシュ、家に帰ってお風呂につかるのが、とても気持ちが良かった」と顔をほころばせる。大阪では六甲山、生駒山や琵琶湖周辺、名古屋では三重県や愛知県などの周辺の山々に足を伸ばしたそうだ。

名古屋での任期を終えて英国に戻り、2004年から2006年にかけて、FCOで初めてEU関係の仕事を担当、加盟国の立場から欧州安全保障・防衛政策(ESDP)に携わった。「この時に初めてEUが世界で素晴らしい役割を果たしていること、平和と自由に貢献していることを知りました」。

この時期には、インドネシアのアチェ州自治政府代表選挙のEU監視団に加わっている。政府と独立派組織の対立で内紛が続いていたアチェでは、津波の後、「対立よりも平和が大切」だという認識が生まれたが、双方に信頼がなかった。そこで、「インドネシア政府がEUに選挙監視を頼んだのです。EUを信頼してくれたことに感動しました」と語る。しかし、インド洋大津波の被災地で、道路などインフラが破損しており、選挙が期日までに実施できるかという危惧もあった。「でもEU加盟国が協力して、実現しました。それがEUの強さだと実感しました」。

日本のNPOで震災ボランティアを支援

この経験を経て、再び日本に戻ってきたのは2011年の東日本大震災から3カ月ほどしてからだ。この頃は、FCOから特別休暇をもらい、Japan Christian Linkという英国のNPOでコミュニケーションマネージャーを務めていたが、震災後に日本のNPOで仕事をするために来日。海外から2,000人以上ものボランティアを集めるなど、被災地を支援するこのNPOで半年間、副統括官としてどこへ支援を優先するかを危機の中で判断するという重要な責務をこなした。

EUでは、リスボン条約(改正EU基本条約、2009年12月発効)により、加盟国の外務省職員をEU在外代表部に派遣する仕組みができており、ウテン部長にとって、駐日EU代表部の広報部長の職は、念願のポストだった。「EUは素晴らしい仕事をしているのに、誰もEUのことをよく知りません。以前、大阪と名古屋で仕事をしていた時、国際的ビジネスマンから、英国はいつ加盟国になりますかと聞かれて、驚きました」。新任の抱負としては、流暢な日本語と豊富な滞日経験を生かし、EUの活動を日本人にもっと知ってもらうことに力を注ぎたいと言う。「EUは平和維持活動に貢献し、世界最大規模の開発援助を行っています。同様の活躍をしている日本と組めば、さらに効率的に貢献できるでしょう」。

日本に戻ってきたのはとても自然なことで、「ただいま、とういう感じでうれしい」と語る。「名古屋では商工会議所や企業の人たちと、いろいろな居酒屋に行きました。そして、とてもいい人間関係を築けました。東京ではまだなかなか飲み会に招待されません。楽しみにその機会を待っています」――外交官は人との関係が大事、と考えるウテン部長ならではの発言だ。「代表部のオフィスから積極的に外に出て、ネットワークを築きたいのです」。

そんなウテン部長に、今日本で一番会いたい人は誰ですか、と聞いてみると、ウーンとしばらく考えた後、意外な人物を選んだ。「水谷豊さんかな。『相棒』のファンです。英国のドラマに似ています。主人公は紳士的なキャラクターの持ち主で、若いパートナーの刑事がいる。そして少しユーモアもあって、見ていて楽しい」。ウテン部長を通じて、EU代表部が一般の日本人にとってもっと身近な存在になることに期待したい。

ティモ・ハマレーン一等参事官・通商部部長: FTA交渉のサポート、欧州企業と日本市場の仲介役も

11月6日の着任以来、日・EU首脳協議の準備や自由貿易協定(FTA)交渉のサポート業務で忙殺された。通商部は貿易関係から交通、エネルギー、環境問題まで幅広い分野をカバーし、EUビジネスマン日本研修プログラム(EU Executive Training Programme in Japan=ETP)および日・EU貿易投資促進キャンペーン「EU Gateway Programme」なども統括している。通商部はフィンランド、ドイツ、フランス出身の外交官と日本人をはじめとする現地スタッフと研修生の計14人のチームだ。ハマレーン部長はフィンランド出身で、日本に来たのは初めてだという。

着任してから2カ月も経たないうちに「早くも半年日本で仕事をしているような気がした」ほど、重要な案件が目白押しだった。11月の首脳協議では、来日したカレル・ドゥグヒュト通商担当欧州委員に同行してさまざまな会合に出席した。FTAの公式な交渉は3カ月ごとだが、その間の専門的なミーティングの円滑な運営をサポートする仕事もある。日本で仕事をするにあたって、最初に「集中特訓」を受けたようなものだ、と微笑む。

着任後の過密な仕事のスケジュールの中でも、週末は東京のさまざまな場所を見て回った。「東京は多彩な『顔』を持っていて、そこがとても魅力的です。とにかく、眠る時間を削ってでもより多くを見る、それが、私のモットーです」。

日本のポストを希望したのはなぜだろうか。「EUにとって重要な貿易相手である日本で、通商部長という役職につくこと自体に魅力があったけれど、もともとアジアにはずっと興味を持っていました」。英語を書く練習にもなるからと14歳の時に始めた文通の、初めての相手がブリュッセル在住の日本人だった。16歳で合気道と居合道を学び、武道にも親しんでいた。大学生の時にインターンプログラムで3カ月間ドイツの銀行で働いた際に、一番親しくなったのは同じ寮に住んでいた日本人学生だった。「ハセベ・トシユキさんという名前でした。彼が日本に帰ってからもしばらくコンタクトがあり、結婚式にも招待されましたが、当時は学生でお金がなくて行けませんでした。やっと日本で働くチャンスが巡ってきたので、時間ができたら彼を探し出したいと思っています」。

大学では経営学と法律を専攻し、卒業後は国際的なキャリアに進みたいと考えていた。「投資銀行に入るか外交の仕事に就くか迷いましたが、結局、外務省に勤めることにしました」。フィンランドの外務省で働き始めたのは1994年。その翌年にフィンランドはEUに加盟し、「EUで働くのも面白いのでは」と思ったそうだ。しばらくして民間に移り、1年ほどフィンランド商工連盟で主にロビイストとして働いた後、欧州委員会の農業総局に職を得た。「いろいろな国籍の人が一緒に働いているEUに身を置くことは、私にとってまさに夢の実現でした」。その後は通商総局に移り、キエフ、モスクワなどでの任務を経て、ようやく日本で働く機会を得た。

多国籍チームならではの強み

現在進行中の日本とのFTA交渉に関しては、どんな手ごたえを感じているだろうか。「日本との交渉には楽観的です。かなりの進展も見られますし」。ちなみに、来日前、ブリュッセルにやって来た100人ほどの日本の交渉団に対応した際、良い意味で、日本人はおとなしく礼儀正しいという予想を裏切り、「英語での交渉では、とても率直で、はっきりと主張をする」と感じたそうだ。

通商部長として国籍も文化的背景もさまざまなチームを率いるのは、苦労もあるが、大きなやりがいを感じている。毎週の会議では、こうした異文化間のコミュニケーションがあるからこそ、「さまざまな角度、視点から問題を検討して解決策を見いだせる」と語る。

欧州企業と日本企業の「仲介役」を務めることにも意欲的だ。「欧州ビジネス協会(EBC)に参加している欧州企業が日本での事業展開、投資に関して直面している問題を把握する一方で、経団連や日本の企業にも活発に接触して、欧州側の懸念を伝える役割を果たしたい」と抱負を述べる。

日本と欧州には、それぞれの伝統や強み、特徴を生かした製品があるが、その中には、お互いの消費者にまだなじみが薄いものも多い。例えば、欧州では日本酒や焼酎はまだあまり知られていない。「ブリュッセルで、JETRO (日本貿易振興機構)が行った日本酒と焼酎の試飲イベントに参加した際、そのおいしさに驚きました。それまで日本レストランで少し飲んだことがあるくらいでしたから。東京では、居酒屋などでもっと試したいです」。このように、最近日本は日本酒や焼酎の海外プロモーションに力を入れているが、EUは地理的表示(GI=Geographical Indications)製品に代表される高品質の欧州食品を、日本の消費者に積極的に紹介することに取り組んでいる。通商部はその面でも大きく貢献するはずだ。

対日輸出に関し、EUは輸出の「量」ではなく、GI製品のような「質」で勝負したいのだ、とハマーレン部長は言う。日本と欧州の消費者がお互いに相手側の優れた製品を発見し、入手しやすくなるような環境が整えば、日欧の「距離」はさらに縮まるだろう。

メルヴィ・カーロス一等書記官・通商部:日本語を特訓、日本農業の実情も学んで

ティモ・ハマレーン部長と同じくフィンランド出身。通商部で働き始める前に、EUビジネスマン日本研修プログラム(ETP)で1年間研修を受けているため、滞日経験では部長の「先輩」と言える。ETPではロンドン大学で集中的に日本の歴史・ビジネス・文化・社会を学び、早稲田大学での日本語研修・ビジネス講義でしごかれ、農林水産政策研究所(PRIMAFF)と全国農業協同組合中央会(全中)で各6週間の研修を受けた。

「PRIMAFFでも全中でも、研修はすべて日本語で行われ、忙しくて大変だったけれど、とても面白かった」と言う。全中では、毎週違う部署に配属され、各部署がどのような仕事をしているかを学んだ。農業の実地見学で神奈川県や栃木県の農家を訪れ、農家の人々から話を聞いたり、津波で被災した宮城県の農村でボランティアの経験もした。研修の過程で、全中が病院、保険、旅行代理店から葬祭サービスまで提供していることを知り、組織の規模の大きさと影響力を実感したと言う。

そして、全中の研修では新しい部署に行くたびに酒宴が設けられ、「飲み会を通じて、働く日本人の暮らしの一端が実感できた」そうだ。もっとも、カーロス書記官が初めて来日したのは、ETPよりも以前の2010年の夏で、東京で2週間のホームステイを経験している。そもそも日本に関心を抱いたのはいつなのかを聞いてみると、ハマレーン部長と同じく、文通がきっかけだという答えが返ってきた。

「9歳の頃から、切手を集めるのにはまっていて、切手が欲しいために、いろいろな国の人と文通を始めました。いまだに文通を続けている相手もいます。日本人のペンパルもいましたが、今は連絡が途絶えてしまいました。でも、住所はまだ持っています。折をみて連絡してみたいです」

また、1990年ごろ、通っていた大学のあるサヴォンリンナという町の近くで開かれた日本美術の夏季展覧会にとても感銘を受けたのも、日本に興味を持った一因だそうだ。1995年に大学を卒業後、機会を見つけては、日本語を勉強してきた。ただ、大学で学んだのはロシア語と英語の翻訳と通訳技能で、特に貿易、商業分野が専門だった。大学卒業の年にフィンランドがEUに加盟し、EUでの仕事に興味を持ったが、職を得たのはフィンランドの税関だった。「私は専門分野で働いた経験がなかったので、EUに職を求める前に、まず何年か専門的な仕事をする必要がありました」。

税関では、企業の会計監査や通関手続きなどの業務はもちろん、新人の税関職員にロシア語のトレーニングなども行った。1996年には娘が生まれ、育児と仕事に全力投球の時期が続いた。2000年にEUの職員採用に応募し、「1年で120もの応募書類を送り、面接は3回受けた」という。念願かなって2003年欧州委員会に採用され、世界貿易機関(WTO)関係の農業交渉担当官として、2010年4月まで多国間交渉の経験を積んだ。

着実に目標を実現

一方、「EUで働くようになってから、ずっと日本に赴任したい」と考えていた。そして、オーストラリア・ニュージーランド、韓国・日本との農産物貿易に関する職務を経て、ついに駐日代表部でのポストを手に入れた。「自分が何をしたいのか目標がはっきりしていれば、達成する道は必ず開けると思っています」。

日欧のFTA交渉が進むこの時期に日本に赴任できたことも、自分にとって幸運だったと言う。4年の任期の間にETPに一緒に参加した欧州のビジネスマンたちが、日本市場に参入しやすくする環境作りを目指したい、非関税障壁の削減や撤廃、農産物市場の自由化を進展させたい、と明確な目的意識を持っている。同時に、チーズやワインなどのGI製品をプロモーションすることで、EUの品質保証制度を広く知ってほしいと語る。「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉にも参加して持続的農業のための改革案を必要としている日本にとって、EUの政策理念は参考になると思う」と、難しい交渉に直面している日本への気遣いも忘れない。

念願の日本にやって来て気づいたのは、フィンランドと比べると女性が職場で活躍できる環境が整っていないということだ。「こちらに来てから接する女性は秘書やアシスタント的な役割の人ばかり。飲み会では、女性は私一人だけのこともあったし、専門的な会合でも女性は私一人であとはお茶くみの女性がいただけ、ということもありました。労働時間は長いし、通勤も大変で、ヨーロッパと比べると休暇も少ない。こうした環境では、子育てしながら女性が働くのは難しいと感じました」。

最後に、日本に関して何が特に好きかを聞いてみた。「日本の青空がとても好き。ブリュッセルの空は灰色に曇っていることが多く、雲が低く垂れこめて、背の低い私には圧迫感がありました。食べ物もおいしいです。つい食べ過ぎるので、体重が少し増えましたけど。それから、日本人はフィンランド人に似たところがあるので、親近感があります。フィンランド人も初めて会った時にはあまり打ち解けませんし、概してあまりおしゃべりではありません。でも、ひとたび親交が生まれれば、信頼できる生涯の友となります」。

ETPで学んだカーロス書記官なら、その知識と経験を生かし、日本とEUの双方が利する関係を築くことに大いに貢献できるであろう。

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