2021.2.3
EU-JAPAN
世界的に有名な高級シャンパン「ドン ペリニヨン」(通称ドンペリ)。フランスが誇る銘酒を、28年にわたって造り続けたフランス人男性が、新たに情熱を注いでいるのが日本酒造りだ。昨年夏には、日本酒の伝統的製法を尊重しながら、シャンパン造りで極めた技術と感性を駆使した新しい日本酒が発表された。「目指すは、世界」と言う熟年の達人に、日本酒にかける思いを聞いた。
1000年の歴史を誇る日本酒だが、海外への出荷量は全体の5%にすぎない。例えばワイン大国フランスでは生産するワインの4割を輸出している。「この壁を打ち破るのは今です。各国の料理とペアリングできる日本酒を造って、全世界へ届けたい」と語るリシャール・ジョフロワさん。
しかし、なぜドンペリのシェフ・ド・カーヴ(醸造最高責任者)の職を後進に譲ってまで、日本で酒造りを始めようと思ったのだろうか? そんな質問に、ジョフロワさんは笑顔で、「それは日本への純粋な愛があったから。私にとっては一貫性のあることで、自然な流れでした」と答えてくれた。
仏シャンパーニュ地方で葡萄園を経営する家庭に生まれたジョフロワさん。世襲に反発し、医者になるべく1982年に医学博士号を取得するも、自分の力をより発揮できるのはワイン造りと気づき、大学で醸造学を修める。その後、モエ・エ・シャンドンに入社し、醸造最高責任者として、ドンペリを世界的高級ブランドへと導いた。
「医学とワイン造りは、どちらも生き物を扱う科学です。医学部で研究したことが、今でもとても役立っています」。そう語るジョフロワさんが、日本酒に目覚めたのは、2000年頃のこと。それ以前もドンペリの広報活動で幾度となく来日していたが、日本を深く知るにつれ、この国や文化への憧憬の念が募り、「日本らしさを体現している日本酒の虜になった」と言う。
日本酒とシャンパンは、「喉ごしが滑らかで、良質なものはいくらでも飲める」という共通点があると語るジョフロワさん。ドンペリを退職後、日本各地の酒蔵巡りをし、大好きな日本酒造りに向けての準備を進めた。「シャンパンで培った経験を生かして、日本酒をもっと世界で親しまれるお酒にできるのではないかと考えました。しかし同時に真の日本酒であるためには、日本の地に深く根づいた酒造りが不可欠でした」。
「SAKE」と呼ばれ、世界で人気が高まっている日本酒だが、ワインのようにもっと飲まれる存在になるためには、食中酒としてさまざま料理を引き立てる、より複雑で深い調和のとれた味わいが求められる。そのための手法として、ジョフロワさんは複数の異なる酒を「アッサンブラージュ」することを考えた。
アッサンブラージュとは、シャンパン造りの工程で、異なる原酒を細心の注意をもって組み合わせるブレンド技法のことで、ジョフロワさんが極めた分野だ。ここ数年、日本でも、同じ蔵の日本酒をブレンドしたり、地域振興の一環として各地域の日本酒をブレンドする試みが出てきている。しかし、ブレンドを前提に原酒造りから行っている蔵元はまだ少ない。日本酒の可能性を広げるため、日本の地で、独自のブランド向けの原酒を造ってアッサンブラージュすることが不可欠である、というジョフロワさんの思いは募っていた。
そんな折、富山県の老舗・桝田酒造店の代表である桝田隆一郎さんを紹介され、二人は意気投合する。2019年に「株式会社白岩」を共同で設立し、まずは桝田さんの蔵で第1号の日本酒「IWA 5」を完成させて、2020年7月にリリースした。銘柄のIWAは、現在建築中の酒蔵を構える立山連峰の麓に位置する白岩地区の「岩」に由来し、「5」はバランス(均衡)とハーモニー(調和)を示す普遍的な数字である。酒米の品種・産地・酵母の種類・酛(もと)造りの手法・発酵方法といった日本酒を構成する重要な5つの要素にも由来しており、「五感」の5でもある。
「『IWA 5』のアッサンブラージュでは、まず理想とする最終形を思い描き、そこから逆算して必要な各要素(酒米や酵母など)を特定し、その設計図に沿って原酒を仕込んでもらいました」と語るジョフロワさん。その後、「IWA 5」専用に醸造されたものを含む20種類以上の原酒を、グラスごとに自らの手で、ミリリットル単位で調合していった。
「初めて『IWA 5』のためにアッサンブラージュを行った時の感動は忘れられません。前世ですでに経験していたかのような感覚で、日本酒の世界でもうまくやっていけると思えた瞬間でした。間違いなく、私の人生で最高の瞬間の一つと言えるでしょう」
日本酒でもシャンパンでも、ジョフロワさんはアッサンブラージュする要素は多いほど良いと言う。「多様な要素による緊張を増やせば増やすほど、互いに対立・補完し合いながら、より調和のとれた、魅惑的な製品ができるというのが、私の哲学であり極意」とジョフロワさんは言い切る。この信念こそが、シャンパンを世界のお酒にしたといえよう。
そして、ジョフロワさんが真の日本酒造りに欠かせないと語るのが、日本で蔵を持つこと。待望の独自の酒蔵は、2021年の秋、立山町に完成する予定だ。
場所選びで最優先したのが、シャンパン造りでも重視していた「テロワール」。フランス語の「土地」(テール)が語源の「テロワール」は、葡萄畑の土壌・地形・気候に加えて、人や技など葡萄の生育環境を総称する概念で、ワインやシャンパンの味わいの決め手となる。
日本酒造りの「テロワール」はワインやシャンパンと同じには語れないが、ジョフロワさんがまず重んじたのが水。立山には日本アルプスが磨いた清らかな水が流れている。次に景色。「人が景色をつくり、景色が人をつくる」という信念を持つジョフロワさんにとって、白岩地区に広がる10ヘクタールの稲田は、「この土地であれば最高の日本酒が造れる」と思わせるに足る美しさがあったそうだ。
さらに、酒蔵そのものも「テロワール」の一部だと話すジョフロワさん。「蔵には、その蔵の経験や信念が反映され、それが個性となって、最終的なお酒の表現に影響を与える」と断言する。
蔵の設計は、旧知の建築家・隈研吾さんに依頼した。二人で訪ねた富山県や福井県で見た、一枚屋根の下、囲炉裏を囲んで、人と家畜と農作物が共存している古民家に感動し、レイアウトは農家の家屋に倣っている。それでいて、現代的で、機能性を追求した、「伝統と革新の精神」を生かした酒蔵になるそうだ。
「きらびやかな受付などなく、周囲の自然に溶け込んだ、シンプルで謙虚なつくりの蔵」には、醸造設備やダイニングエリア、関係者の宿泊スペースが設けられる予定だ。
医学の道を志したこともあったジョフロワさんは、蔵に生息させる微生物の研究にも余念がない。特に江戸時代に確立した、自然界に存在する乳酸菌を利用する「生酛(きもと)造り」が、酒に深みをもたせると確信している。「生酛造り」は多大な労力と時間を必要とする。そのため、現在では、人工の乳酸を使う技法が主流になっている。ジョフロワさんは日本酒を飲み始めてから、常にその酒が自然な生酛かを言い当てることができたそうだ。「新しい蔵が完成したら、独自の生酛を造りたい」と意気込む。
ジョフロワさんは、「熟成」の可能性も追求している。「日本酒は熟成に向いていないと言われることがありますが、将来的にはワインのように長期間ボトルの中で寝かせることで、より深い味わいを出せるのではないかと考えています」と話す。
複雑で深い調和のある「IWA 5」は、刺身からジビエに至るまで、日本料理の幅広いメニューに合わせることができるという。0℃~60℃まで広範囲の温度で楽しめるのもこのお酒の魅力。それぞれの温度で違った味や香りが花開くため、ペアリングの可能性はさらに広がる。ただ、現時点では20℃~30℃だと「このお酒の良さを引き出せていない」と分析している。
既に海外での評判も上々だ。香港・シンガポール・タイ・台湾では、香辛料の強い現地料理との「相性が抜群」との評価を受けている。今年予定されている欧米への輸出を前に、フランス人シェフたちにも試飲してもらい、仏料理とのペアリングについても確認した。
「『繊細でエレガント』と評する人もいれば、『重厚な味わい』と表現する人もいる。グラスの中で味わいが変化する『IWA 5』ならではの評価です。飲み手の方にもぜひ実験的なペアリングに挑戦してほしい。きっと思わぬ感動を得られることでしょう」
これからの人生の全てを「IWA 5」に賭けると言うジョフロワさん。フランスで親しまれていたドンペリが、世界で愛される存在になったように、日本酒の素晴らしさを世界が認めてくれる日まで、彼の挑戦は続く。
プロフィール
リシャール・ジョフロワ Richard Geoffroy
1954年、仏シャンパーニュ地方生まれ。一時は医師を目指し、1982年に医学博士号を取得するも、ランスの国立大学で醸造学を修め、1990年よりドン ペリニヨンの醸造最高責任者として28年間メゾンを牽引。2019年に富山県立山町白岩に「株式会社白岩」を設立し、シャンパン造りで培ったアッサンブラージュ(ブレンド技術)を応用した日本酒「IWA 5」を2020年夏にリリースした。「IWA 5」に関する詳細はこちら
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