2016.10.28
FEATURE
加盟国の多くが海に面し、対外貿易ではその9割が船舶による海上輸送となっている欧州連合(EU)。海洋の権益・安全確保が重要になる中で欧州理事会は2014年6月、海洋での安全保障に対して包括的かつ分野横断的に取り組むための「EU海洋安全保障戦略」を承認した。同戦略の狙いや背景、内容などについて解説する。PART 1では、EU初となる総合的な海洋安全保障戦略の策定に至る経緯をたどりながら、その背景と特色について見ていくこととする。
最近注目を集めている南シナ海問題と欧州は無縁ではない。この問題に関しては、2016年7月12日にオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所で裁定が下されたが、その少し前の6月5日、シンガポールで開催されていた英国国際戦略研究所(IISS)主催のアジア安全保障会議(通称:シャングリラ・ダイアローグ)で、フランスのジャン=イヴ・ル・ドリアン国防相が、欧州各国に南シナ海での「航行の自由作戦(Freedom of Navigation Operations=FONOP)」の実施を提案して世界を驚かせた。このことは、あらためて世界の海がつながっていることを思い起こさせるとともに、EUの安全保障政策の一の側面としての海洋安全保障の存在に目を向けさせることとなった。
実は、前年の2015年6月には、そのほぼ半年前に着任したばかりのフェデリカ・モゲリーニEU外務・安全保障政策上級代表(以下、上級代表)が、やはりシャングリラ・ダイアローグで登壇し、南シナ海問題を念頭に、特定の立場に与(くみ)することを避けつつも、紛争の平和的解決と国連海洋法条約(UNCLOS)をはじめとする国際法の枠組の尊重を訴えている。モゲリーニ上級代表の同会議出席は、東京で開催された第23回日・EU定期首脳会議出席を含む一連の外交日程に含まれたものであり、新任の上級代表としての顔見せでもあっただろう。しかし、同時に、2014年6月に策定されたEU海洋安全保障戦略(European Union Maritime Security Strategy=EUMSS)の意義をアピールする機会ともなったのである。
”Sea matters”ーーEU海洋安全保障戦略の冒頭に掲げられた印象的な一文である。簡潔すぎて訳が難しいが、あえて訳せば、「海こそが」といったところだろうか。実際に地球の表面積の70%以上は海洋であり、世界貿易総量の90%以上は海上輸送によるものである。EUの対外貿易においても、90%は船舶によるものであり、それどころかEU内貿易でも海上輸送によるものが40%を占める※1。それでいて、世界の安全保障情勢の揺らぎの中で、海賊問題や領土問題、さらには難民問題など、海洋安全保障の不透明性も増している。
こうした中、2014年、EUとして初となる包括的な海洋安全保障戦略が策定された。この戦略には「2人の親」がいる。欧州安全保障戦略(European Security Strategy=ESS)と、EU統合海洋政策(Integrated Maritime Policy=IMP)である。当初、EU海洋安全保障戦略は2003年の欧州安全保障戦略の延長線上に位置付けられるべき文書として、2010年4月のEU外務理事会で策定作業の開始が決定されたものであった※2。
欧州安全保障戦略策定以降、戦略にのっとり数多くのEUとしての作戦活動が展開されてきた。中でも、ソマリア沖・アデン湾での海賊対処活動であるEU海軍部隊(EU NAVFOR)の「アタランタ作戦」では、逮捕した海賊容疑者を現地第三国に引き渡すための協定締結などで、共通外交・安全保障政策(CFSP)としての政策手段と欧州委員会の持つ政策手段を有機的に連携させることの意義が認識された※3。この経験が、EU海洋安全保障戦略のあり方に大きな影響を及ぼした。
もう1人の「親」は、EU統合海洋政策である※4。これは、EUの環境保護政策と経済成長戦略にその源流を持ち、2007年に策定された。国家横断的かつマルチレベルな「協力の強化と個々の海洋政策の調整と統合のみが、海洋の2大特徴であるグローバル性と関係者の多様性に的確に対応するのに適する」とする欧州委員会の基本的立場が反映された、ユニークな統合海洋政策である※5。
しかしながら、いわば出自を異にする両文書は、そのままでは交わることはなかった。欧州安全保障戦略がEUのCFSPの一環として策定されたものである一方で、EU統合海洋政策は欧州委員会の政策文書だったからである。CFSPは、あくまでも加盟国の都度的な合意形成を基本とする伝統的な政府間協力としての性格が与えられており、そのほかの超国家的な共同体方式をとる政策部門とは異なる性質を持っていた。結果的に、分野によっては同じEUの機関でありながら「二重外交」のような状況となってしまったり、政策の整合性が必ずしも十分でなかったり、本来得られるべき政策の相乗効果が得られない状況に陥ってしまうことも懸念されていた。
転機が訪れたのは、2009年にリスボン条約が発効し、特にEUの対外政策の制度面での一体化が図られたことであった。それまで加盟国の閣僚で構成されるEU理事会の事務総長職との兼任であったCFSP上級代表が、欧州委員会の対外政策担当副委員長職との兼任とされ(同時に外務・安全保障政策上級代表と名称を変更)、EUとして一体的に対外・外交政策を担う欧州対外行動庁(EEAS)が創設されたのである。このような変化の中で、2010年前半のEU議長国スペインの下で、EU内の各部門が連携して「地球規模での海洋領域における安全保障戦略の策定に向けたオプションの準備」を行うことが合意されたのである※6。当初は軍事分野に軸足が置かれていた策定作業は、欧州委員会が参加する中で次第に文民的政策手段と軍事的手段を連携させる方向に修正が図られ、最終的に2014年前半の議長国ギリシャの下でEU海洋安全保障戦略が策定されるに至った。また、同年後半の議長国イタリアの下で同戦略に関連する行動計画も策定された。
これにより、それまでもCFSPの文脈で重視されていた安全保障における包括的アプローチが、一層加速されることとなった。包括的アプローチとは、各種の政策手段もしくは政策主体などを包括的に動員して政策対応にあたるアプローチである。冷戦後の国内紛争や非国家主体の関わる紛争の頻発に直面し、軍事力だけではない、さりとて文民部門だけでもない、紛争対応のあるべき姿として注目されるようになったものである。
欧州統合の文脈では、また別の意味合いを持つ。EUは、国民の安全に最終的な責任を負う主権国家ではない。また、欧州各国の共同防衛の枠組みとしては、北大西洋条約機構(NATO)という冷戦期以来の軍事同盟が主要な役割を果たし続けている。他方で、EUは欧州統合の必然的な帰結として安全保障分野での統合に接近しつつある。この過程で、伝統的な主権国家の安全保障政策ともNATOが担ってきた役割とも違う、EUならではの安全保障の特性としても、包括的アプローチが着目されることになった。リスボン条約発効によってEUの対外政策の制度面での一体化が図られたことにより、特に従来EU理事会が統括していたCFSP、とりわけ軍事部門を含むEUの共通安全保障・防衛政策(CSDP)と、欧州委員会が統括してきた文民部門の政策ツールの一層の一体運用がもたらしうるものとしての、包括的アプローチへの注目となったのである。
加えて、海洋安全保障政策は包括的アプローチにフィットする政策分野でもあった。前述のアタランタ作戦の経験が典型的であるが、陸上の自国領土を離れ、自律的行動が求められる海洋では、全方位的な政策遂行能力が求められる。ここでいう「全方位的」とは潜在的に全ての政策分野と、さらには軍事分野を含む。さらに、海洋は境界が曖昧で複層的である。自国領海内でも他国艦船の無害通航権を認めたり、公海上でも警察権が行使できたりする。加えて、領海外でも接続水域や経済的排他水域といったような自国の管轄権が一部及ぶ水域が設定されたりする。このように内政と対外政策が多層的に入り組み、錯綜する海洋では、政策手段の総動員としての包括的アプローチが効果を発揮することが期待されるのである。
※1^“The EU Maritime Security Strategy and Action Plan INFORMATION TOOLKIT ”
※2^“Council conclusions on Maritime security strategy”, 3009th Foreign Affairs Council meeting, Luxembourg, 26 April 2010
※3^Marianne Riddervold, (Not) in the Hands of the Member States: How the European Commission Influences EU Security and Defence Policies, Journal of Common Market Studies, 2015, DOI: 10.1111/jcms12288, p.7.
※4^ EUにおける環境保護政策と経済成長政策の表裏一体性については、例えば、市川顕「石炭を諦めない EU気候変動規範に対するポーランドの挑戦」臼井陽一郎編著『EUの規範政治』2015年、212-232頁
※5^齋藤純子「統合的海洋政策の理念と展開―EUとドイツを中心に―」国立国会図書館調び立法考査局『科学技術に関する調査プロジェクト[調査報告書]海洋開発をめぐる諸相』(国立国会図書館調査及び立法考査局、2013年)86頁。
※6^“Council conclusions on Maritime security strategy”, 3009th Foreign Affairs Council meeting, Luxembourg, 26 April 2010
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