2024.8.1
Q & A
近年、LGBTIQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・インターセックス・クィア)など性的マイノリティに対する取り組みが増え、認知が高まりつつある。プライド月間(Pride Month)である6月を中心に、日本をはじめ世界各地で、LGBTIQのコミュニティを祝福したり、権利について啓発したりするイベントも多数開催されている。欧州連合(EU)は長年、LGBTIQの人々の権利の擁護と促進に向けた動きを牽引してきたが、具体的にどのような取り組みをしてきたのか。EUのLGBTIQ政策や日本への影響などについて、NTT社会情報研究所リサーチスペシャリストの岡村優希氏に解説してもらった。
EUは性的マイノリティの擁護を極めて重視しており、性的マイノリティが差別を受けない権利を人権として保障した上で、差別を規制するための具体的な立法を行っています。
まず前提として触れておくべきは、EUは、欧州を単純に経済的な観点から統合するものではなく、核となるべき価値を共有する統合体であるという点です。全ての加盟国が基本的価値を共有しているため、各加盟国は自らの主権の一部をEUに委譲し、EUレベルでの立法や政策推進を行うことが可能となっています。
EUにとって人権は、その発足とともに明確に規定された基本理念であり、EU条約(マーストリヒト条約)第2条で、「EUは、人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法の支配の尊重およびマイノリティに属する人々の権利を含む人権の尊重という価値に基礎を置く」と規定しています。EUはマイノリティの擁護を欧州統合における不可欠の要素として位置付けており、マイノリティを経済発展の犠牲にはしないという理念を掲げ、それを全ての加盟国が共有しています。
このような価値を具体化すべく、EU基本権憲章第21条では、「差別の禁止」の標題の下、差別を包括的に禁止すべきだと規定しています 。条文上では特に差別が行われやすい事由が列挙されており、人種や宗教などと並んで、「性別(ジェンダー)」と「性的指向」が挙げられています。ここでいう「性別」には性自認の問題も含まれています。
EUの機能に関する条約 第19条では、EUが「性別」と「性的指向」に基づく差別を規制するための立法を行う権限を有することを規定しており、人権を保障するための具体的な立法措置を講じることができるようになっています。実際に立法として採択されているのが、「雇用と職場における平等指令」(2000/78/EC)です[1]。この指令は、雇用の領域における宗教や信条、障害、年齢、性的指向に基づく差別を禁止しており、平等待遇原則(principle of equal treatment)の実現を目的としています。
これらの法令の解釈運用に際しては、上記のEU基本権憲章による権利保障が重要な役割を果たしています。EU基本権憲章はEUの立法権限を拡張するものではないものの、EU条約やEUの機能に関する条約と同様の法的価値を有するものとして位置付けられています(EU条約第6条参照)。性的マイノリティは文字通り少数者で、多数決主義に陥りやすい民主主義の枠内(=立法)では十分に保護されないことがあるため、司法による権利保護が重要であり、それを充実させるための規範的根拠として基本権憲章が機能しています 。
[1] 男女同一賃金については、EUの機能に関する条約第157条で定められており、賃金を含め、雇用分野における男女間の差別を包括的に規制するために「雇用及び職業における男女の機会均等及び均等待遇の原則の実施に関する指令」(2006/54/EC)が採択されている。性自認に基づく差別に対してはこれらによる保護が行われており、実際にトランスジェンダーに対する差別を問題とした事例について欧州司法裁判所の判断が示されている。
EUが性的マイノリティの権利擁護のために打ち出した政策としては、欧州委員会が2015年12月、性的マイノリティを差別から保護するための初の政策枠組み「LGBTI平等推進のための行動リスト 2015年~2019年(List of actions to advance LGBTI equality -2015-2019)」を発表し、2020年12月に「LGBTIQ平等戦略2020年~2025年 (LGBTIQ Equality Strategy 2020-2025)」を採択しました。同戦略は、「LGBTIQの人々に対する差別への対策」、「LGBTIQの人々の安全の確保」、「包摂的な社会の構築」、「世界におけるLGBTIQ平等追求の主導」の4つを政策の柱として、性的マイノリティをより総合的な観点から保護することを目指すものです。
EUでは、EU条約およびEU基本権憲章において性的マイノリティ擁護が謳われ、具体的な立法も行われているとはいえ、司法の場で救済を得ようとしなければならないこと自体が、性的マイノリティの人々にとって大きな負担となっているのは事実です。加えて、性的マイノリティの社会的受容は拡大しているものの、一部の加盟国においては彼らを敵対視する動きさえ見られます[2]。このような中で、「LGBTIQ平等戦略」は、EUが加盟国や市民団体といったさまざまなステークホルダーと協調しつつ、最前線に立って性的マイノリティ擁護を推進していくための具体的な行程を示すものです。
欧州委員会の各委員は加盟国から選出されるものの、自国の利益から離れてEU全体の利益のために行動するものとされており、そのような性格を有する欧州委員会が法案を策定する制度設計が取られています。もちろん、実際に指令などを採択する段階で、EU理事会において各加盟国の利益を調整する必要は生じますが、少なくとも政策実現に向けたアクションを起こすことはできます。また、EU条約やEU基本権憲章という法的基礎が存在するという点で、EUは性的マイノリティ擁護において有利な立ち位置にあります。国際的な取り組みをする中で、これらの諸条件が整っている例は稀有であり、EUに対する期待は大きいものがあります。
[2] 2023年12月に公表されたEU世論調査(ユーロバロメーター)によれば、EU市民の約69%がレズビアン、ゲイ、バイセクシャルも異性愛者と同様の権利を持つべきだと回答し、また、EU市民の約64%はトランスジェンダーは他の人々と同様の権利を持つべきだと回答。一方、EU市民の半数以上が自国で性自認・性的指向に基づく差別が蔓延しているとも回答している。
現在の日本には、性的マイノリティへの差別を禁止する個別的な法律がありません。2023年5月に行われた主要7カ国(G7)広島サミットの首脳声明では、「あらゆる人々が性自認、性表現あるいは性的指向に関係なく、暴力や差別を受けることなく生き生きとした人生を享受することができる社会を実現する」と明記されました。しかし、理解増進法でさえ、保守派議員らの強固な反対を受けながら、2023年6月にやっと成立。これは文字通り、性的マイノリティに対する理解を増進することを目指すものに過ぎず、差別を禁止するまでには至っていません。
とはいえ、日本でも、立法以外のチャンネルにおいては、性的マイノリティを保護しようとする動きが見られつつあります。例えば、2020年から施行されている改正労働施策総合推進法は、いわゆるパワーハラスメントを防止するための措置を講じることを事業主に義務付ける法律ですが、その法律本体ではなく、厚生労働省の定める指針(パワーハラスメント防止指針)という形ではあるものの、「相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動を行うこと」がハラスメントに該当しうる旨を明示しています。また、文部科学省は2017年、「いじめ防止対策推進法」に基づいて「いじめの防止等のための基本的な方針」の改訂を行い、性的指向・性自認に関する児童生徒に対するいじめを防止するための理解促進などに言及。司法においては、トランスジェンダーである国家公務員に対する女性用トイレ使用制限を違法とする最高裁判決、外科的手術を経ないまま戸籍上の性別変更を認めた下級審決定や、同性婚を認めない民法などの規定が婚姻の自由や法の下の平等を定めた憲法に反すると判断した下級審判決など、性的マイノリティを擁護する判例・裁判例も出てきています。
性的マイノリティへの差別の禁止は今や世界的潮流であり、日本においても立法に向けた着実な動きが見られます。例えば、2015年に設立された超党派の「LGBTに関する課題を考える議員連盟」では、所属する国会議員が立法に向けた取り組みを行っています。また、日本経済団体連合会(経団連)や一般社団法人LGBT法連合会などの民間団体が、立法に向けた戦略的なロビー活動を展開しています[3]。そのような活動においてEUの法制度が頻繁に参照されており、また、学界においてもEU法との比較法研究を行う例が少なくなく、将来的に性的マイノリティの人権擁護のための法整備を検討するに際して参照され、EUの法制度の内容が日本の立法に取り込まれる可能性もあります。
EUは性的マイノリティの人々の人権擁護において世界的に議論をリードする存在であり、日本の重要な戦略的パートナーでもあります。民主主義、法の支配、人権の尊重などという共通の価値を持つ日本とEUの関係性が今後さらに強化されていく中で、日本がEUと歩調を合わせ、性的マイノリティの権利擁護を充実させていくことが期待されています。
[3] EUもこのような民間での取り組みを評価しており、多数の企業がスポンサーとなって開催される、国内最大級の性的マイノリティに関する啓発イベント「東京レインボープライド」にいくつかの加盟国とともに参加し、共同ブースの出展などを行っている。
<筆者プロフィール>
岡村優希(おかむら ゆうき)
同志社大学法学部早期卒業、同志社大学大学院法学研究科博士前期課程及び後期課程修了。博士(法学)。同志社大学法学部特任助手、情報通信総合研究所法制度研究部主任研究員、名古屋市立大学人文社会学部専任講師等を経て、現在NTT社会情報研究所リサーチスペシャリスト。早稲田大学比較法研究所招聘研究員を兼務。専門は労働法、EU法、情報法。
2024.11.15
WHAT IS THE EU?
2024.11.7
EU-JAPAN
2024.11.6
EU-JAPAN
2024.10.28
Q & A
2024.10.21
FEATURE
2024.10.21
FEATURE
2024.10.28
Q & A
2024.11.6
EU-JAPAN
2024.11.7
EU-JAPAN