2013.11.12
EU-JAPAN
ある月曜日の午後、横浜市日吉のカルチャースクールの教室では、男性を含む15人ほどの参加者がコーヒーを飲みながら、思い思いの毛糸と教本を持ち寄って作品を編んでいる。ここはベルント・ケストラーさんの主宰する「ニットカフェin English」だ。「これを編みたいなら羊よりアルパカの毛糸がいいんじゃない?」とケストラー先生が提案すると、「メリノウールでもいいよね、カシミアでも」と別の参加者から声が上がる。そして先生が、日本語と英語を交えながら完成したばかりの自作を紹介すると、歓声が上がる。「すごい、先生、仕事はやーい!」「私たちもそれを作ってみたいです!!」
ケストラーさんの編み物歴は長い。初めて自分で本を見ながら編み始めたのが12歳の時。ケストラーさんのためにいろいろなものを編んでくれていたお姉さんが、ボーイフレンドができるとぱったり編んでくれなくなってしまったのがきっかけだ。それからは編み物に夢中になり、人生の大切な一部になった。編み物の楽しさは、まるで建築のように作り上げていくところだという。「自分で作りたい形をどのような技法でどのように作るか、すべてのプロセスを自分で操れることです。何通りもの技法を試みながら、自分の思い通りの形に編み上げていくところがとても楽しいのです」。デザインだけでなく、毛糸の種類や色づかい、サイズや編み柄を変えるだけで、自分だけの作品を自在に作ることができる。「そしてそれがうまくいって、ほかの人にも気に入ってもらえた時は最高の気分です」。
街を歩いている人のファッション、ドイツから送ってもらう本やウェブサイトから入手した伝統的なパターン——ありとあらゆるものが、ケストラーさんの作品のインスピレーションになる。最近作ったのは、ポンチョ風ニット(右写真内の左)。もともとはドイツの70~80年前のレース編み用の編み柄(右写真内の右)だが、それをウールの毛糸を使い、ミンクのフリンジをつけて現代風にアレンジした。「レースで編んだときは縁をフック状にしたんですが、ニットの方でこだわったのは縁にコブを作っていったことで、ここに一番時間がかかりました。こうした細かい作業が好きなんです。お店では絶対買えませんからね」。ケストラーさんいわく、「ドイツ語でレース編みをクンストシュトリッケンと言いますが、私は毛糸など別の素材を使ったりして伝統的技法を現代風にアレンジ、バージョンアップしたものを、クンストシュトリッケン2.0と呼んでいます。ルールは守らなくていいんです。自分で作りたいように作りましょう」。
ケストラーさんが、来日したのは1998年。1980年代にドイツで注目されていた日本的経営に深い興味を覚え、デュッセルドルフの大学で現代日本研究を専攻した。卒業後に来日してホームステイやインターンシップを体験、その後10年ほどは日本の会社でインテリアデザインや家具の販売担当として働いていた。「編み物は趣味としてずっと続けていて、いつも友人に見せたりはしていましたが、自分が教えるようになるとは考えていませんでした」とケストラーさん。
ところが数年前、編み物の資格取得講座を受講し、自分でも教えられるのでは、と考えるようになった。そして3年ほど前、合気道を習っていたカルチャースクールの代表に申し出てみた。「編み物教室はすでにひとつ開講されていますが、もう一講座いかがですか?」。代表は「いいですね。やりましょう」と快諾。こうしてケストラーさんの「ニットカフェin English」が始まった。
さらには、手芸ショップでも講習会を受け持つようになる。世界各国から毛糸を輸入し、日本全国に販売している会社に、ある毛糸の色数が少ないと文句を言った事があった。これがきっかけで友人となったその会社の社長が、好きな毛糸を使って自由に編む代わりに、それらを編み物キットとして商品化し、週に一度店舗で講習会を開くことをケストラーさんに提案。これまでに襟巻き、帽子、ショールなどのキットを次々と開発し、日吉のニットカフェの合間を縫って、渋谷、松戸、福岡と各地で開催される講習会を飛び回るようになった。
とにかく、編み物の幅広い活用性や楽しさを多くの日本の人たち、特にファッションを勉強する若い学生たちに伝えたいという。「世界の編み物のさまざまな技法を知ってもらえれば、日本でも編み物の世界がもっと広がると思います。日本人のファッションセンスは素晴らしいです。ですから、ファッション専門学校で、クリエイティブな若い世代に教えてみたいですね」。
もうひとつやってみたいことは、伝統的な日本ならではの色合わせや模様を、編み物にも取り入れること。ケストラーさんは、着物に用いられる辻が花染めや、紙布(しふ)織りなど日本古来の服飾の技法にも関心を持ち、職人に会いに自ら工房を訪ねたりしている。また、ファッションデザイナー三宅一生氏の色使いを絶賛、彼のブランドから出るニット作品に刺激を受けている。
伝統的なヨーロッパの編み方から日本の様式までを、可能な限り自分自身の編み物の世界に取り入れることを楽しむケストラーさん。編み物の多様な可能性を多くの人に伝えたい、そうした思いに突き動かされるように彼の編み物の手は日々休まることがない。
(2013年9月30日取材、撮影:花井智子)
(記事トップ写真) 東日本大震災後、被災地の人々のために「Knit for Japan」というチャリティを企画。海外に毛糸の寄贈を呼びかけて被災者が避難所で編み物を楽しめるように届けたほか、決まった大きさで編んでもらった四角いピースをつなげてグラニースクエア・ブランケット(granny square blanket)と呼ばれる毛布にして送る活動を続けた。被災地支援はひと段落し、今は世界最大サイズの毛布づくりでギネス記録に挑戦している。
ヨーロッパの編み物略史 |
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ヨーロッパの編み物の起源には諸説あるが、13~16世紀に栄えたハンザ同盟の交易で、英国スコットランドのシェットランド諸島から羊毛製品が輸入されて以降、盛んになったといわれている。ドイツをはじめ、寒い冬を迎える国々では毛糸の衣服や小物は必需品であり、毛糸は各種生産されていた。特に、19世紀半ばに英国のヴィクトリア女王がシェトランド・ウールのマフラーを着けたり、その後20世紀初頭にウェールズ公(後のエドワード8世)がフェアアイル(シェトランド諸島フェア島の伝統柄)セーターを着たりするたびに、編み物の人気が高まっていった。
もともとは、男性も上着や手袋、帽子にセーター、靴下を編み、男性限定の靴下専業ギルド(同業組合)もあったという。15~17世紀にかけてドイツで流行した長い編み靴下も、すべて手編み製品だった。テレビやインターネットのない時代、編み物は、ひとつの夜の時間の過ごし方だった。機械が必要な織物と異なり、編み棒と毛糸さえあれば作れるため、貧しい人たちは手編み製品を売ることで現金収入につなげていたそうだ。 近年では、1980年代に一時編み物ブームがあったが、ここ数年はソーシャルメディアを通じてヨーロッパの若い世代に広まっている。ニッターたちは、ラベリー(Ravelry.com)といったコミュニティサイトやブログ、YouTubeで、基本の編み方や新しいデザインを見せたり、学んだりしている。 |
プロフィール
ベルンド・ケストラー Bernd KESTLER
編み物作家。1964年、ドイツ・ヘッセン州ダルムシュタット生まれ。園芸技師として働いた後、デュッセルドルフのハインリッヒ・ハイネ大学・現代日本研究科で学ぶ。1998年に来日、埼玉県でのホームステイや東京でのインターンシップを経て、インテリア会社に就職。販売担当として10年ほど勤めた後、2010年ごろからそれまで趣味だった編み物が活動の中心となる。 http://berndkestler.com
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