2016.10.24
EU-JAPAN
2016年9月に駐日欧州連合(EU)代表部に副代表として着任したフランチェスコ・フィニ公使。これまで、主にテロ対策や制裁といった多国間にまたがる分野に関わってきたフィニ公使にとって、日本は初の在外代表部勤務。日本着任の感想、日・EU関係の今後や、抱負などについて聞いた。
「心の底から、とても満足しています」――日本着任の率直な感想を尋ねると、歯切れの良い答えが返ってきた。これまでの豊富な実務経験のほとんどは、多国間(マルチラテラル)にまたがる分野だったが、今回初めて対日関係という二者間(バイラテラル)の職務に自ら望んで従事する。着任直後、日本ではG7関連閣僚会議が続いており、この状況にフィニ公使は「二者間パートナーである日本が、多国間の枠組みの中でいかに切り盛りしていくのかを間近で見られたことは非常に興味深い経験でした」。
フィニ公使はイタリア人ではあるが、生まれも育ちもベルギー・ブリュッセル。父親がEUの行政執行機関である欧州委員会に務めていたことから、ブリュッセルにある主にEU機関職員の子女のための「ヨーロピアン・スクール」に通い、その後もブリュッセルの大学へ進んだ。大学院はベルギーの地方都市ブルージュにある欧州研究専門の欧州大学院大学(College of Europe)。EU機関で働くのは「当たり前」のように感じていたというフィニ公使は、民間の欧州関連シンクタンクやコンサルタント会社で欧州経済についてのコンサルタントを経験した後、1999年に欧州委員会に務め始めた。
駐日EU代表部に赴任する外交官の中で、テロ対策や制裁分野での専門官を歴任してきたフィニ公使の経歴はやや異色かもしれない。直近は欧州対外行動庁(EEAS)で、EUが国際社会で行う制裁政策全体を担当してきた。リビア、シリア、北朝鮮、ロシア、イランなどに科する制裁方針を考え、EU理事会と調整して法案を作り、再びEU理事会と交渉し、法案を通して実施し、目的がかなえば解除する。そして、その過程では日本のような同じ考えを持つ国々と制裁の調整を行う役目もあった。
日本のポストを希望したのは「EUが戦略的に重視する相手国、それもできれば問題意識を共有し、幅広い政策分野で共に協力して取り組むことができる国と、戦略的パートナー国との二者間の関係を深めていく職務に就きたいと考えていた」からだという。
その日本とは、より強固なパートナーシップを築くため、戦略的パートナーシップ協定(SPA)と自由貿易協定(FTA、日本では経済連携協定〈EPA〉と呼ばれている)の2つの協定の締結に向けた交渉が精力的に行われている。フィニ公使に両協定について聞くと、開口一番「合意に達したいという強いコミットメントを双方から感じています。交渉が大詰めに近いと期待しています」と語ってくれた。「貿易協定というのは、当然のこととして当事者間の相反する利害のバランスを見出すことが必要なのです。しかし総体的に見ると協定がある方がない場合より得るものが大きい。だからこそ、締結に向けてお互い積極的に進めているのです。世界的に見ると、自由貿易協定は雇用を奪うといって、保護主義的政策の言い訳に使っている人々がいます。しかしこれは間違っている。EUは、28カ国間の貿易で、EU全体として雇用と経済発展をもたらしてきました。なお、日本との間では、戦略的パートナーシップ協定の締結交渉も行っています。これは、テロやサイバーセキュリティなどの共通の脅威に共に立ち向かう、さらに一歩踏み込んだ、より深く広い戦略的な関係に入ろうというものです」と説明する。
2017年、EUは、その母体となった欧州経済共同体(EEC)の創設を決めたローマ条約の調印から60年の節目を迎える。フィニ公使は、EUが成し遂げた最大の功績は、二度の世界大戦後の「平和」、そして「繁栄」を構築してきたことだという。しかし一方で、EUは今、さまざまな新しい課題に直面、難しい舵取りを迫られているのも事実だ。「私は現実的で実践的な人間ですので、難題ではないとは言いません。しかし、良い政治的判断を下すには、包括的な評価が必要。うまく行かないことばかりを見て、うまく行ったことを忘れてはいけない。私の祖父や父は戦争の時代を生きてきました。私には平和が当たり前ですが、彼らにとってはそうではない。何十年間も戦いがないのはどういうことか、考えなければなりません。EUが存在しなければ何が起きていたかは、もはや想像もできません」。
さらに、幼少のころイタリアからブリュッセルに行く際、4度も国境でのパスポート審査を受け、4回両替し、何かイタリアから商品を持ち込もうとしていないか、尋ねられた経験を引き合いに、「EUは関税もない、障壁もない、人や物が自由に行き来できる大きな単一市場を作り上げました。加盟国内で留学ができるエラスムスというプログラムも素晴らしい。私自身はエラスムスの第一期生です。もちろん10%の失業率は問題ですし、我々は懸命に努力しなければなりません。しかし、EUは間違いなく平和と繁栄をもたらしました。それは忘れてはならないことです」とその業績を強調した。
テロ対策や制裁を担当し、難しい職務を歴任したフィニ公使は、私生活では家族思いでスポーツをこよなく愛する。これまで激務の合間にも、マラソンとトライアスロンをこなしてきた。今も毎朝5時ごろに起きて少なくとも1時間のトレーニングを行う。「早朝にトレーニングすれば、家族団らんの時間をつぶすこともないし、仕事に影響することもない。睡眠時間は少なくても大丈夫なんです」。
都内に住んでいるとトライアスロンのトレーニングをするのは難しそうなので、日本滞在中はマラソンに照準を当てる。さっそく来年の東京マラソンにエントリーしようとしたところ、先着順ではなく、くじ引きで当たらなければ走れないと知って大いに驚いた。10倍の競争率の中、くじにはずれて落胆しているが、「何とか再来年の大会には出たいです。一方で、年間に全国で45のレースが行われるそうなので、地方も含めどれかには出場します。富士山の見えるコースを走るなんていいですね」という。日本滞在の4年間で、タイムを15分縮め、3時間15分台で走ることを目指す。今朝も出勤前に、東京・赤坂付近を15km快走してきたと笑顔で語った。
マラソンとトライアスロンで鍛え上げた強靭な身体と精神力は、仕事でも大いに役立ってきた。昨年ウィーンで行われたイラン核合意に向けた大詰めの交渉は、日に20分しか眠れないような日もある、まさに「マラソン交渉」だった。フィニ公使は、他の関係者が疲れ果てて次々と倒れ込んでいく中、トレーニングのおかげで粘ることができ、うれしかったと話す。「マラソンは人生の学校みたいなもの。計画的に準備し、ストレスやプレッシャーに耐え、想定外の状況にも柔軟に対応し、そして、決して諦めない」。
このような多忙な生活をしているフィニ公使は、ワークライフバランスの達人である。その秘訣は、「完璧に計画し、準備すること」だという。そうすることで人生を楽しむ時間が増える。スマートフォンには、何百枚もの家族の写真に加え、日々のランニングの記録と今後のスケジュールがびっしりと記録されている。週末や休みには、東京中、日本中を訪ね歩きたいし、国内十数カ所にあるEU協会を訪れて「地方の人と会い、その土地の良さを発見する」機会も楽しみにしている。
日本には、豊かな文化と歴史、美味しい食べ物があり、マナーをわきまえ連帯感を持った人々と清潔で安全な社会がある。「それに、東京からはたった数時間でスキーに出かけられるのも魅力。手始めに、富士山、北海道、京都や沖縄にも行くつもりです」と顔をほころばせた。
着任した日本ではSPA/FTA交渉が精力的に進められている。場所や担当分野は違っても、今後もタフな交渉をサポートしていく役目に変わりはない。そんなフィニ公使を精神面から支えているのが、ブリュッセルの自身のオフィスのドアに書かれていた「苦しみは一瞬、勝利は永遠。Go for it!(頑張ろう)」という言葉だという。まさに、世界を相手にテロ対策や制裁など、長年ハードな交渉を担当してきたフィニ公使らしい一言といえよう。
プロフィール
フランチェスコ・フィニ Francesco FINI
駐日EU代表部 公使
1993年ソルヴェイ・ビジネススクール(ブリュッセル)経済学・金融学修士、1995年欧州大学院大学(ブリュージュ)欧州経済研究修士、2006年欧州外交プログラム・サーティフィケート取得 (ロンドン、パリ、ブリュッセル、プラハ、ウィーン)。民間のシンクタンクや研究所で欧州経済や社会問題についてのコンサルタントを務めた後、1999年より欧州委員会事務総局を経て、2005年よりEU理事会事務総局にて、対テロ部門・制裁部門の政策主任・リーダー、2011年から欧州対外行動庁(EEAS)で安全保障政策や制裁調整官を歴任。2016年9月より現職。
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