2012.3.30

FEATURE

未来への投資:EUの教育政策

未来への投資:EUの教育政策
PART1

EUの教育ビジョン 人を育て危機の乗り越えを

欧州連合(EU)は今後の成長モデル、社会モデルを実現するために、教育の分野を重視している。その中でも特に重点を置く目標とは何か。また、どのような理念をもって教育の環境づくりを目指しているのか。経済的・社会的な背景をたどりながら、教育におけるEUの戦略とイニシアチブを見ていこう。

背景:今後10年の基盤を担う教育

EUは2010年、今後10カ年の成長戦略「欧州2020」を始動させた。戦略の3本柱は、イノベーションと知識を基盤とする「賢い成長」、エネルギー・資源の効率向上を図る「持続可能な成長」、社会的な疎外や貧困の撲滅を目指す「包括的な成長」。この3点すべてに横断的に関わってくるのが教育だ。「欧州2020」では、この3つの「成長」を実現するために「5大重点目標(※1)」を掲げているが、うち1項目が教育に直接関わるもので、その他も間接的に影響を及ぼす内容だ。

© European Union

EUは、「欧州2020」に先立つ10カ年にも、知識を基盤とする経済成長を目指した「リスボン戦略」を掲げ、経済成長や雇用創出に取り組んでいた。しかしゴール目前の2008年秋に世界を襲った金融危機により、その成果にブレーキがかかった。統計で見ると、2004年以降2~3%の成長を続けてきたEU27カ国の国内総生産(GDP)が、2008年には0.5%に鈍化、2009年には4.3%という大幅なマイナス成長を記録した。これと並行して、2008年通年で7.0%に低下した失業率も、2009年には8.9%、2010年には9.6%に上昇し、10年前の水準を上回ってしまった。

さらには、2011年に顕在化した欧州債務危機の影響により、失業率は2012年1月時点で10.1%にまで悪化している。特に25歳未満の若年失業率が労働人口全体の2倍強となる21.4%(2011年)、仕事のない若者が500万人を超えるという深刻な状況がある。

こうした状況を背景に、「欧州2020」では就業率の改善が5大重点目標の一番目に据えられた。もともとEUは、20~64歳の就業率が域外の主要国に比べて恒常的に低く、2010年は68.6%だった(日本は74.6%)。これを2020年までに75%に引き上げることがターゲットに掲げられている。この目標を達成するためには、基盤となる教育政策が重要な役割を担うことになる。(資料:Eurostat、厚生労働省)

2020年までの数値目標 —— 求められる加盟国の努力

教育政策に関するEUの権限としては「加盟国の行動を支援、調整、補充する領域」となる。その立場から、EUの教育政策分野には、前述の「欧州2020」より以前に定められた「教育・訓練における欧州の協力のための戦略的枠組み」(ET 2020)という施策があり、同施策下で2020年までに達成を目指す以下の目標が規定されている。この中でも、太字で記した2項目は「欧州2020」の5大重点目標にも含まれる重要なターゲットであり、「欧州2020」と「ET 2020」は相互に連関している。

1)幼児教育の普及率
4歳から義務教育開始年齢までの間の幼児教育の普及率を95%以上に引き上げる。
(2008年:92.3%)

2)読解力、数学・自然科学の学力
15歳の読解力不足、数学・自然科学における学力不足の割合を15%未満に引き下げる。
(2009年:20.0%=EU18カ国)
※OECD生徒の学習到達度調査(PISA)を基に算定。

3)中途退学者
中等教育の間に学業を放棄する生徒の割合を10%未満に引き下げる。
(2010年:14.1%)
※中等教育=中学校・高等学校

4)高等教育修了者
30~34歳の高等教育修了者比率を40%以上に引き上げる。
(2010年:33.6%)
※高等教育=大学以上

5)成人教育の普及
成人の生涯学習参加率を15%以上に引き上げる。
(2009年:9.3%=EU25カ国)

資料:Eurostat / 欧州委員会ウェブサイト

ベンチマークとなる達成度は、加盟国間で大きなばらつきがある。進捗の遅れた国に改善を促す手段として、欧州委員会は毎年、各国の統計を用いて進捗状況を詳細に分析して年間報告を作成する。さらに2年に一度、欧州委員会とEU理事会による共同レポートが作成され、状況の分析と課題の確認が行われる。

EU教育政策の理念とは

上記5つの数値目標が教育のあらゆる年代をカバーしていることからもわかるように、EUが掲げる教育理念の柱に「ライフロング・ラーニング(生涯学習)」がある。幼児から社会人に至るまで、文字通り一生を通して受けられる教育の環境づくりを目指す考えだ。

これを補完する理念が「モビリティー(移動性)」。学生や研究者、教員がEU加盟国間や域外を地理的に移動して学べることを指すのはもちろんだが、学生が労働市場にアクセスしやすい環境、あるいは逆に社会に出ても学べる環境といった概念も含まれている。

© European Union

EU各国は学生の移動を促進するため、学士・修士・博士課程の互換性を高め、履修単位を相互に認定するシステムを導入するとともに、履修科目の成績表を統一した。1999年に調印され、大学発祥の地とされる場所の名前を冠したこの取り組み「ボローニャ・プロセス」には、現在EU加盟国以外も含め欧州の48カ国が参加している。

また、「ライフロング」と「モビリティー」のコンセプトに付随して、学校教育以外での学習、いわゆる「ノンフォーマル教育」「インフォーマル教育」も重視し、これらの機関で得られた技能を認定する制度づくりも進められている。

さらに、ボランティアを奨励し、それを通じて得られた経験を評価することで、教育と社会貢献を結びつけた「人材育成」の努力も続けられている。

つまりEUが教育において重きを置くのは、あらゆる社会階層の人々が様々なライフサイクルの中で知識や技能の習得に参加できる流動性にある。こうしたライフロング・ラーニングとモビリティーの促進によって、時代とともに変化する労働市場のニーズに応える多様な人材を育成し、ひいては社会的疎外や貧困を解消するのが狙いだ。

EUが向上を目指す8つの能力・技能

では、EUが見据えるこれからの経済・社会モデル、労働市場の新しいニーズとは何か。教育の戦略的な枠組み以外に、EUが具体的にどんな分野に力を入れようとしているのかについても見ておく必要がある。EUは2006年以来、8つの「カギ」となる能力、技能をリストアップし、加盟国に対して重点的に注力するよう呼びかけている。

1)母語 2)外国語 3)数学、自然科学、工学 4)ICT(情報通信技術) 5)学習計画力 6)社会・市民活動参加 7)率先力、企業家精神 8)文化的感受性、表現力

読み書き、計算、といった基本的な能力はもちろん、テクノロジーに関連する技能に加え、将来の社会づくりに率先して参画する「進取の気性」を育てることにも重点が置かれているのが特徴だ。

幼児教育の段階からこの8項目の習得を重視して人材の育成を促しつつ、社会に出て働き始めた人々にもつねに専門学習・職業訓練の機会を与えていくこと、これがEUの教育モデルの柱である。

さらに野心的に「エラスムス・フォー・オール」

「ライフロング」と「モビリティー」を促進するために、EUはこれまで様々な助成プログラムを実施してきた。コメニウス(就学前教育・初等教育・中等教育)、エラスムス(高等教育)、レオナルド・ダヴィンチ(職業訓練)、グルントヴィーク(社会人教育)といった各年代に応じたプログラムがある。

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中でもエラスムス(ERASMUS=European Region Action Scheme for the Mobility of University Students)は、欧州各国の大学間で行われる学生や教員の交換プログラムとして、1987年の創設以来、四半世紀でおよそ250万人が援助を受けてきた。奨学金枠をEU域外の学生にも広げた「エラスムス・ムンドゥス」も2004年からスタートしている。

欧州委員会は2011年7月、2014年~2020年の予算枠組み案を発表したが、「欧州2020」の目標を反映して、「教育・訓練・青少年」の分野に152億ユーロを割り当てることが盛り込まれた。これは2006年~2013年の予算枠組みと比べて73%増で、一分野としては最大規模の上げ幅となった。欧州の債務危機が顕在化し、EUの財政に及ぼす影響が懸念されているが、欧州委員会が教育という未来への投資の重要性を繰り返し訴える姿勢に変わりはない。

なお、欧州委員会は2011年11月、EUの教育・訓練・青少年・スポーツ分野の多岐にわたるプログラムを「エラスムス・フォー・オール(Erasmus for All)」という新たなプログラムにまとめる提案を行っている。これは、効率を上げ、重複を避けるため、エラスムスなど上記4つの学習支援プログラム、エラスムス・ムンドゥスなど国際学術交流プログラムを含む、全7プログラムをひとつに統合する計画。172.9億ユーロ(前述の予算額152億ユーロのインフレ率調整後の金額)に他のプログラムからの配分額を加え、2014年~2020年の7カ年で総額190億ユーロもの資金を用い、総計500万人への支援を目指す。この新プログラムの提案は今後、EU理事会と欧州議会の審議を経て、承認される必要がある。

「危機だからこそ教育への投資を」 バシリウ教育担当欧州委員のメッセージ

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アンドゥルラ・バシリウ Androulla Vassiliou
1943年キプロス生まれ。ロンドン世界問題研究所で国際関係学を研究。1996年の総選挙で初当選しキプロス政界入り。特に同国のEU加盟交渉で功績を上げた。欧州委員会では、保健担当委員(2008年3月~2009年10月)を経て2010年2月から教育担当委員。

「今は欧州と欧州市民にとって困難な時期です。しかし我々の将来を描くために、しなければならない選択があります。たとえ危機のまっただ中であっても、我々は長期的な視野を失ってはなりません。今日の投資は明日の成長を作るものです」

(2011年12月8日、ドイツ各州政府教育・文化相年例会議において)

「本日、私が伝えたいのは、我々は教育と訓練に投資を続ける必要があること、危機にもかかわらず、ではなく、危機だからこそ、その必要があるということです。教育への投資を犠牲にすることは、(中略)短期的に生産性や競争力の支えとならないのはもちろん、将来的な成長の見通しやイノベーションの潜在力まで、深刻に土台から崩してしまう恐れがあるのです」

「構造的な若年層の失業による壊滅的な影響、加盟国の多くで “失われた世代”が生まれる危険については、誰もが気づいています。これは、持続的な経済成長の展望にとっての脅威であるばかりか、欧州の社会モデルの持続性すら脅かすものです」

(2012年1月24日、EU経済社会評議会の会議「経済危機、教育、労働市場」において)

「ギリシャから訪れた危機、これは “決定的な時期の到来”を意味します。危機とはしばしば転換期であり、好機に転じるものなのです。なぜなら時として、正しいことをなす以外に残された選択はないからです」

「EUはこれまで長い間、生涯学習という概念を非常に重視してきました。なぜなら現代の経済において、よい基礎教育というのは、不可欠とはいえそれだけで十分ではなくなってきているからです。新しいスキルを身につけることが必要なのです。(中略)学習は労働生活の全期間を通じて続けられなければならない。テクノロジーの変化や常に推移する労働市場のニーズに追いつかなければならないからです。(中略)持続的な経済成長のカギであり、あらゆる人を受け入れられる社会(包括的社会)をつくるカギなのです」

(2012年2月28日、成人学習のための欧州アジェンダ開幕にあたって)

出典:欧州委員会ウェブサイト

(※1)^ 欧州2020の5大重点目標:
1)20~64歳の就業率の75%への引き上げ; 2)R&D投資の対GDP比3%への引き上げ; 3)温暖化ガスの排出の1990年比20%の削減。最終エネルギー消費における再生可能エネルギー比率の20%への引き上げ。エネルギー効率の20%向上; 4)中途退学者の削減・大学卒業者の増加(本文参照); 5)貧困者・社会的疎外者の2,000万人以上の削減。

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