2018.2.22
FEATURE
EU市民が域内のどこにいても人間らしく生きる権利を守るための「欧州社会権の柱」が、昨年11月に採択された。「柱」が生まれた背景やその内容、またEUの社会政策を巡る半世紀の歴史を解説する。執筆は、田中俊郎慶應義塾大学名誉教授/ジャン・モネ・チェア・アド・ペルソナム。
欧州連合(EU)は、2017年11月17日にスウェーデンのヨーテボリで「公正な職業と成長のための社会サミット」(社会サミット)を開催し、公正な賃金から医療を受ける権利まで、また生涯学習・より良きワークライフバランス・男女平等から最低所得まで、20の基本原則を示した「欧州社会権の柱(European Pillar of Social Rights)」を、欧州議会、EU理事会、欧州委員会の厳粛な共同宣言として採択した。ジャン=クロード・ユンカー欧州委員会委員長は採択に際し、「公正で、より社会的な欧州を構築することを目的に、EUは急激に変化しつつある世界の中で市民の権利のために立ち上がった」と述べた。
「欧州社会権の柱」の構築は、ユンカー委員長が就任1年後の2015年9月に行った「一般教書演説」において言及されていた。ユーロ圏や単一市場をさらに発展させるためには、例えば同一労働・同一賃金という、明確なルールと原則に基づいて、「労働者の移動の自由」を促進・保障しなければならない、というのがその理由だ。これを受けて欧州委員会は、EU加盟国政府、欧州および各加盟各国の労使団体や市民社会などの広範なステークホルダーとの協議や意見聴取を行い、2017年4月26日に「柱」として発表、10月23日にEU理事会で合意され、11月の社会サミットでの正式な採択へとつながった。
EUの中核は、「単一市場(single market)」である。それは、「人、物、サービス、資本の自由な移動を保障された国境のない領域」を指し、域内国境による障壁を撤廃し、自由競争による大市場のメカニズムを機能させようとするものである。しかし、資本家や経営者が経済合理性を追求し、競争的に利潤を上げようとするならば、その犠牲となるのは労働者である。そのような弱者を救済し、保護するのが社会政策(social policy)であり、より包括的に社会的側面(social dimension)、社会的欧州(social Europe)などと呼ばれるEUの政策領域である。
EUの社会政策の歴史は古く(本稿末尾の関連コラムを参照されたい)、EUの原点となった欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC、1952年設立)の時代にも、炭鉱や製鉄所に勤める労働者の移動、労働者保護、労働条件の統一、転職のための職業訓練などが政策課題として提起されていた。
しかし、基本的に社会政策(社会的側面)の主役は加盟国であり、EUは加盟国の活動を支援するにとどまっている。域内市場(単一市場)の領域では、積極的な立法が行われ、「リスボン戦略(2000年~2010年)」や「欧州2020(2011年~2020年)」などの包括的な成長戦略が推進されたが、社会的側面は総論ばかりで、加盟国レベルでの進展が乏しかった。
2007年のパリバショックと2008年のリーマンショックにより成長戦略の目標も達成できず、多くの加盟国が深刻な経済不況とその打開策としての厳しい緊縮財政を経験した。その結果、社会福祉の削減、失業者の増大、特に就職できない若者の増加など、経済的・社会的格差が一層拡大し、一般市民の不満が既存政党に向けられ、反移民・難民、反外国人、反イスラム、反EUを主張するポピュリスト(大衆迎合主義)政党の躍進が、加盟国内の総選挙や地方選挙だけでなく、2014年5月の欧州議会選挙でも鮮明になった。
2014年の欧州議会選挙の結果を受けて登場したユンカー委員会を迎えたのが、2015年初頭のパリに始まる一連のテロ事件であり、その後ベルギー、ドイツ、英国などへと拡散していった。しかもテロリストの多くが、EU域外からの侵入者ではなく、加盟国生まれの移民第二世代(ホームグロウン・テロリスト)であり、国内での貧困や格差拡大に対する強い不満が、一連の無差別テロになったと考えられた。さらに2015年から翌年にかけて、年間100万人を超える大量の移民・難民が中東やアフリカから欧州を目指し北上し、シェンゲン協定で廃止した域内国境での壁と検問の復活など、統合の後退も見られた。同時に、グローバリゼーション、デジタル革命、労働パターンの変化、少子高齢化などの人口的要因などによって、労働市場も社会も急激に変化しつつあり、それらへの対応も求められていた。
その上、英国のEU脱退問題も加わったが、EUの社会的側面に乗り気でなかった英国の脱退は、EU諸機関と他の加盟国が「欧州社会権の柱」によって社会的側面を推進する追い風となっている。そのような傾向は、EUの安全保障の分野でも見て取ることができる。
「欧州社会権の柱」は、全く新しいものではなく、すでに法制化されたものも多くあるが、市民に対してより効果的な権利を付与する。とりわけユーロ参加国(現在19カ国)の取り組みを想定しているが、他の加盟国も取り組むことが期待されている。
その内容は、以下のように3つのカテゴリーに分類され、20の基本原則からなっている。
「欧州社会権の柱」20の基本原則
「欧州社会権の柱」の全文の日本語仮訳はこちら。
これらの20項目の内、12の分野で、複数の指標を「社会的スコアボード」として設定し、欧州委員会が加盟国における進捗状況をモニターし、その結果は「ヨーロピアン・セメスター」に算入される。
EUでは、全ての加盟国が同じ速度で統合を推進することが理想であるが、実際には能力があるのに参加する意思がない国もあれば、参加したいが能力がない国もある。そこで可変翼(Variable geometry)・多速度(multi-speed)型の統合が行われてきた。ユーロについても、発足時の15加盟国のうち、適用除外を認められていた英国とデンマークは不参加を選択し、スウェーデンは社会福祉の低下を招くとして、参加基準の為替変動幅に加わらないことで参加しない道を選んだ。2004年以降にEUに加盟した13カ国のうち、ハンガリー、ポーランド、チェコ、ブルガリア、ルーマニア、クロアチアは、いまだにユーロ参加基準を満たしていない。
ユンカー委員長は、2017年3月に発表した『欧州の将来に関する白書』の中で、英国脱退後の27カ国からなるEUが今後取り得る道について5つのシナリオを提案していた(詳細はEU MAG 2017年4月号「特集」PART 2を参照されたい)が、この「欧州社会権の柱」に関しては「シナリオ3」(希望する加盟国はさらに統合を進める)を選択した。単一通貨としてユーロを共有する諸国が、ユーロ圏の力と安定を維持させ、その市民の生活水準に対する突発的な調整を回避するために、社会的分野においても、より共同して行うことができるとしている。ユーロに参加していない加盟国も参加できると同時に、EUが定める基準よりも高いレベルを達成している加盟国が、そのレベルを下げる必要もない。20の基本原則のうち、さまざまな項目で、スウェーデンやデンマークが他のユーロ参加国よりも高い水準にある。
2017年12月14日~15日に開かれた欧州理事会で、EU首脳たちは社会的側面をさらに発展させるべき優先事項として強調した。具体的には、その第一歩として以下の対策を取ることとした。
●「欧州社会権の柱」をEUおよび加盟国レベルで実施し、欧州委員会は適切なモニタリングを提案する
●全てのレベルで、社会的対話がうまく機能するよう促進する
●EUレベルで未決となっている社会的施策の取りまとめを速やかに推進する
●男女間の賃金格差是正に取り組むEUの行動計画を、優先事項として実施する
さらに欧州理事会は、2018年3月に予定されている会合で、上記の問題について適切なフォローアップを行うことになっている。
EU社会政策の紆余曲折を振り返る ~EEC条約からリスボン条約まで~
EEC条約は、「加盟国は、労働者の生活および労働条件を向上させつつ、均等化できるように、これらの条件の改善を促進する必要性について合意する」と規定し、具体的には、(1)雇用、(2)労働法および労働条件、(3)初級および上級の職業訓練、(4)社会保障、(5)職業上の事故および疾病に関する保護措置、(6)労働衛生、(7)労働組合法および労使間の団体交渉、などの事項について、加盟国間の協力促進がEEC委員会の任務として定められていた。しかも、男女同一賃金、有給休暇、移民労働者の社会保障、労働者の地理的および職業上の移動促進のために職業訓練を支援する欧州社会基金(European Social Fund=ESF)の創設まで用意していた。
1987年7月に発効した単一欧州議定書は、域内市場の定義と完成期限とともに、社会政策については労働環境の改善、および欧州共同体(EC、当時)の委員会による欧州レベルでの対話の促進を追加した。
当時のジャック・ドロールEC委員長は、域内市場の完成と社会的側面の充実が、車の両輪であることを強調していた。ドロール委員長は、1961年10月18日トリノで調印された欧州社会憲章に範をとり、1989年6月にマドリッドで開かれた欧州理事会において、「労働者の基本的社会的権利に関する共同体憲章(社会憲章)」を提案した。その内容は、経済的・社会的結束(格差是正)のために、(1)移動の自由、(2)雇用と給与、(3)生活と労働条件の向上、(4)社会的保護、(5)結社と団体交渉の自由、(6)職業訓練、(7)男女間の均等待遇、(8)労働者の情報・協議・参加、(9)職場での衛生と安全、(10)熟年者、(11)障害者、などを課題として列挙した。さらにこの憲章は、法的拘束力のない欧州理事会の宣言として提案された。
しかし社会政策は、加盟各国の労使関係や社会保障の制度や質などの違いから、センシティブな政策領域であり、均等化については加盟国の間で意見が異なることが多い。特に、英国の保守党政権は懐疑的で、労働条件・慣行や社会的給付などは加盟国が決めることで、ECレベルでの決定は不適切であると考えていた。マーガレット・サッチャー英首相(当時)は、「社会憲章が、ドロール印の社会主義を裏口から持ち込むもの」と強く反対した。ところが、1989年12月のストラスブールでの欧州理事会では、他の11カ国が社会憲章を宣言として採択し、票決に敗れたサッチャー首相は「英国が憲章に拘束されない」と述べた。後任のジョン・メージャー英首相(当時)は、EU条約(別名マーストリヒト条約)の策定に際し、社会憲章に基づく社会政策の改正には反対しなかったが、1991年12月のマーストリヒトでの欧州理事会では、英首相の抵抗により、社会政策の改正案は条約本体ではなく附属議定書となり、英国のオプトアウト(適用除外)も認められた。
1997年に英国で行われた総選挙で、18年ぶりに労働党が政権を取り戻し、5月にはトニー・ブレア首相(当時)が誕生した。ブレア政権は、最終段階にあった条約改正(別名アムステルダム条約)で、社会政策を条約の本体に入れることを承認しただけでなく、英国がオプトインし、適用を受けることを承諾した。
さらに、1999年6月にケルンで開催された欧州理事会は「EU基本権憲章」の制定を決定し、同年10月のタンペレでの欧州理事会では、草案を作成する諮問会議(Convention)が招集された。2000年10月、諮問会議はEU基本権憲章草案をまとめ、同年12月、ニースでの欧州理事会において正式にEU基本権憲章が採択された。前文、尊厳、自由、平等、連帯(経済的・社会的権利)、市民権、司法、一般規定の全54条からなる憲章であった。この憲章も法的拘束力がないものであったが、リスボン条約の附属議定書で法的拘束力を付与された。
EUでは、単一欧州議定書以来の一連の条約改正によって、EU理事会の決定の多くが、全会一致から特定多数決に変更されてきたが、社会政策は例外であった。現行のリスボン条約(2009年12月発効)でも、EUの機能に関する条約第153条は、第1項(c)労働者の社会保障と社会的保護、(d)雇用契約が終了する際の労働者の保護、(f)第5項(適用除外)の共同決定を含む労働者と経営者の利益の主張と団体的防衛、(g)EU域内に合法的に在住する第三国民の雇用条件については、EU理事会における全会一致が維持されている。英国だけでなく、どの加盟国も拒否権を発動することができる。
執筆:田中俊郎(慶應義塾大学名誉教授/ジャン・モネ・チェア・アド・ペルソナム)
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