2016.11.11
EU-JAPAN
約380年の歴史を持ち、国の記録選択無形民俗文化財、東京都の無形文化財にも指定されている、江戸糸あやつり人形劇団「結城座」。1971年のフランス公演を皮切りに、海外での公演を精力的に行い、訪れた国の人々を魅了している。「結城座」座長・十二代目 結城孫三郎さんに、海外公演の手応えについて聞いた。
人形劇には、人形につけた糸を動かして操作する「糸あやつり人形」や直接人形を持って操作する「手遣いの人形」がある。糸あやつり人形の「結城座」は、1635年に江戸の葺屋町(ふきやちょう、現在の東京・人形町)で、初代結城孫三郎が旗揚げした。江戸幕府公認の劇場「五座」の一つである。五座は、結城座のほかに、手遣いの人形の薩摩座、歌舞伎三座(市村座、中村座、河原崎座)で、これらの劇場は、その後、東京・浅草の猿若町(さるわかまち)に移された。明治期には、全ての劇場が取り払われ、薩摩座は姿を消し、歌舞伎三座も名称のみの継承となり、現在も「座」として存続するのは結城座のみ。江戸糸あやつり人形を継承する唯一の劇団でもある。
結城座は、古典演目を引き継ぎながらも、海外の翻訳作品や、現代の書き下ろし作品など新しい試みにも積極的に取り組んでいる。結城座の舞台では、人形遣いは人形を操るだけでなく、セリフも語り、作品によっては、役者として人形と同じ空間で演じる場合もある。
結城座の初めての海外公演は、フランス文化大臣に招聘された1971年のフランス・ナンシー国際演劇祭。前衛的な劇団が参加する演劇祭だ。当時から古典作品だけではなく、伝統と現代を融合した作品に取り組んでいた結城座は、女優と人形が共演する『ゴリラ・ゴリラ』で参加した。孫三郎さんは、「お客さんが入るのか心配しましたが、満席。公演は大絶賛され、終演後も、お客さんがなかなか席を立たなかったのを覚えています。初日祝いには、現地のボランティアの学生、演劇人、一般の人などが詰めかけ、ねぎらいの言葉を掛けてくれました」と当時を振り返る。
その後、結城座は中近東公演も成功させ、1986年にはセルビア・ベオグラード国際演劇祭に参加。シェークスピアの『マクベス』を演じ、特別賞・自治体賞を受賞した。
孫三郎さんは、『マクベス』の成功について、「海外で日本の古典作品がウケるのはわかっていました。ただ、エキゾチックな物珍しさで評価されているのか、純粋に演劇として評価されているのか、わからなかったのです。『マクベス』が海外で高い評価を受けたことで、結城座の芝居が、演劇として認められたのだという自信になりました」と語る。ちなみに、『マクベス』は、字幕なしの日本語での公演だったそうだ。現地では、「『マクベス』は、シェークスピアが、結城座のために書き下ろしたに違いない」とまで言われたそうで、これ以上はない賛辞を受けたといえる。
『マクベス』は、その後、フィンランド、ユーゴスラビア、ベルギー、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、旧ソ連で公演を行った。
『マクベス』終了後は東南アジアなどで公演し、しばらく欧州から遠ざかっていた結城座だが、結城座の舞台を見たというフランスの演出家、フレデリック・フィスバック氏から、「パリでジャン・ジュネの『屏風』をやりたいので、ぜひ結城座に出てほしい」と依頼される。そして2002年、結城座の人形遣い6人と、欧州各国の俳優、フランス現地のスタッフによって、パリのコリーヌ劇場での日仏コラボレーション(共同制作)作品『屏風』公演が実現する。結城座の人形と欧州の俳優が共演した『屏風』はフランスで大評判となり、その後2007年のドイツ・ベルリン公演まで、毎年、欧州各地で『屏風』公演が行われた。『屏風』は、日本でも日本語翻訳で公演されたが、欧州公演では観客が大笑いしたシーンが、日本語にすると全く笑いが起きなかったそうで、「ちょっとした言葉のニュアンスが大事だ」と感じたという。
孫三郎さんは、他国とのコラボレーションの難しさについても、「やはり、言葉」だという。結城座は、海外公演を機に、言語が違うからこその新たな表現方法にも挑戦している。
「『屏風』では、俳優のフランス語のセリフに合わせて人形を動かすことになりますが、セリフを追うように人形を動かすのでは、ただの当て振りになってしまい、おもしろみがありません。日本とフランスという2つの国が合わさったときに、今までとは違う表現方法があってもいいのではないかと考えました」。そこで、言葉通りにセリフをなぞるのではなく、フランス語のセリフを音として音楽のように捉え、言葉のニュアンスや情景を人形の動きで表現するという試みに出たという。「以前から一度試してみたいと思っていたことですが、日本ではなかなか挑戦できませんでした。フランスの人たちの間に入って、一緒に芝居をしたことで思い切ってできました」。海外公演だからこその挑戦。それによって、結城座の人形遣いたちは、新しい表現方法を発見したのである。
欧州にもあやつり人形はあるが、日本のものとは全く構造が違うという。日本のあやつり人形は、「手板」と呼ばれる操作板から糸が下がっているのに対し、欧州の人形は、組み合わせた棒から糸が下がっている。人形の構造も異なり、日本の人形は畳文化・正座文化に対応しているが、欧州は椅子に座る文化なので、正座ができるような関節の構造にはなっていないという。また、日本の人形は、顎(あご)を出したり、引いたりする動きによって息遣いを表現するが、欧州の人形にはそれがない。
孫三郎さんは、「考え方の違いも、演劇の手法に表れています。日本の演劇では、『間』を大事にします。どれぐらいの『間』を取るかは、演者の自由であり、秒数で決められるものではありません。欧州では、『間』はなく、『沈黙』(silence)という言い方をして、3秒とか7秒とか、秒数で明確に表すのです」と語る。
「日本で作った作品を海外に持って行って演じるだけではなく、海外の演劇人とコラボレーションすることで、初めてお互いの共通点や相違点に気づくことができました。一緒に舞台を作っていくことは、とにかく楽しく、発見と勉強の連続です」。
海外公演では、とにかく忘れられない思い出がいっぱいだという。「パリのコリーヌ劇場での公演後、座員たちと終電ぎりぎりの駅のホームに立っていると、反対側のホームから『ブラボー』と拍手が沸き起こりました。私たちも、思わず手を振り返しましたね。乗車したバスに、芝居を観てくれたお客さんが乗っていて、『ブラボー』と言われたこともあります。ベオグラードでも、街を歩いていると、住民が家の窓から顔を出し、『良かったわよ』と声をかけてくれたり、フランスのナンシーでバスを乗り間違えて困っているときに、公演を観たという人が車で送ってくれたり」。
「海外ではお客さんとの距離が近く感じられますね。温かい思い出がたくさんあり、お金では買えない経験をさせてもらっています」。
今後については、「流れに身を任せています」と笑う孫三郎さん。結城座には、何年も前からお誘いを受けながらも、スケジュールの関係などで実現していない海外公演や、コラボレーション企画がある。「スケジュールが許せば、古くから信頼関係を築いてきた方々との、果たせていない約束を実現していきたい」。
日本では、脚本家・演出家の鄭義信(チョン・ウィシン)が、結城座のために書き下ろした『ドールズタウン』の公演が、2017年1月に予定されている。これからも、結城座は、伝統を継承しつつ、新しいことに挑みながら、国内外で人々を魅了し続けていくだろう。
写真提供:結城座
プロフィール
江戸時代の寛永12年(1635年)から続く、「江戸糸あやつり人形」の劇団。歴史ある「古典公演」のほかに、書き下ろしや翻訳による「新作公演」を行う。欧州、中近東、東南アジア、旧ソ連、アメリカなど海外公演も多数。国内外で高い評価を得ている。国記録選択無形民俗文化財、東京都無形文化財に指定。
結城孫三郎 Magosaburo Yuki
「結城座」十代目結城孫三郎の次男として生まれ、4歳で初舞台を踏む。1993年に十二代目結城孫三郎を襲名。古典作品とともに、新作や海外の脚本家・演出家とのコラボレーション作品などにも積極的に取り組んでいる。2004年より入門塾を開講し、古典の伝承と後進の育成にも力を注いでいる。
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