2014.8.12
EU-JAPAN
信州・野沢温泉の中心街に、今、温泉客やクラフトビール愛好家の間で話題の店がある。英国人のトーマス・リヴシーさんと日本人の絵美子さん夫妻が営むビール醸造所兼パブ「里武士(LIBUSHI)」だ。野沢温泉での仕事と暮らしについて、リヴシーさんに聞いた。
ビール醸造所にパブが併設されたブリューパブ「里武士」の正面。温泉客、ビール愛好家が本場のクラフトビールを求めて集まってくる(写真提供: Beer Cruise)
一般的に 「ブリューパブ」とは、醸造所で造ったビールの25%以上を、併設するパブやレストランで提供する形態を指す。英国をはじめビール好きの多い国ではよく見られるという。ここ数年、日本でも個性豊かなクラフトビールを楽しめるブリューパブは増えてはきているものの、 ビールの本場から来た人が醸造、経営する里武士のような店はまだ珍しい。
もちろん店の目玉は、野沢の自慢の湧き水や材料でリヴシーさんが精魂込めて造るクラフトビール。最近は日本でも良質な地ビールを「クラフトビール」と呼ぶようになってきたが、これは小規模な醸造所でビール職人が手間暇をかけて造るビールを、手工芸品(クラフト)に例えた言い方である。里武士では、20平方メートルほどの小規模な醸造所で造った目玉のクラフトビールとともに、地元の食材をふんだんに使ったフードメニューを用意している。旬の野菜はもちろん、山菜や筍(たけのこ)などは自分たちで採ってきた新鮮なものを、素材を生かしたシンプルな調理法で提供している。
リヴシーさんは、クラフトビールの伝統が色濃く受け継がれている英国中西部のダービシャー州で生まれ育った。初めてビールを造ってみたのは13、14歳のころ。手造りビールの道具を「たまたま見つけた」友人と一緒に、試しに造ってみたのが最初という。そのときの結果や飲んでみたかどうかは記憶にないそうだが、リンゴを採ってきてはシードル(リンゴ酒)も造っていたというから、根っからの醸造好きと言えそうだ。
大学院卒業後はビール熱にいよいよ拍車がかかり、各地のブリュワリー(醸造所)めぐりやビールを味わうことを目的にした外国旅行を始めた。卒業後は地元ダービシャーの醸造所で働き、6年間修業を積んだ。
リヴシーさんと妻の絵美子さん。ロンドンのパブで出会い意気投合、初めての日本旅行で訪れた野沢温泉に魅了され、同地でブリューパブを開店した(写真提供: Beer Cruise)
日本の歴史や文化にも興味のあったリヴシーさんが初めて日本を訪れ、各地を回ったのは5年ほど前。妻の絵美子さんとはロンドンのパブで出会って意気投合し、初めての日本旅行では日本を案内してもらった。その旅でたまたま訪れた野沢温泉を二人ともすっかり気に入ってしまった。その後は、半年に一度は訪れるようになり、結婚後、2012年にこの地に移住。決め手となったのは「温泉や景色だけでなく、地元の人々の温かさ」だった。ビール造りの経験もあったので、ブリューパブの開店もすんなり決まったが、店を始めた本当の動機は「自分自身が美味しいビールを飲みたかったから」だそうだ。
暮らし始めてからは知り合いも増え、平日やオフシーズンの里武士の客は友人知人が多い。リヴシーさんは「従来、英国人にとって、地元のパブは我が家の延長のような場所でした。いいローカルパブは今でもこのような家庭的な雰囲気を残しています。税や不動産価格の上昇で消えていくパブも少なくないのですが……」と、ちょっと残念そうな表情も見せる。故郷を遠く離れた土地でリヴシーさんが目指しているのは、そんな懐かしい温かさを感じられる店なのかもしれない。
ビール醸造所には醸造設備が並んでいる。ここでクラフトビールが造られていく(写真提供: Beer Cruise)
リヴシーさんが目指しているのは「唯一無二の上質なビールを造る」こと。特に力を入れているのは、天然酵母の樽熟成(バレルエイジド)エール。醸造に非常に時間のかかるものもあるが、ビールがワインや日本酒に匹敵しうることを伝えられる立場にいられることは素晴らしいと思っているそうだ。
野沢温泉の豊かな湧き水は、リヴシーさんのビール造りに欠かせない貴重な材料の一つ。村内を回って各所の湧き水を飲み比べるなど、研究にも余念がない。その他の材料も、可能な限り地元のものを使う。材料によって、醸造するビールの種類も変わる。これまでにリヴシーさんが造り、里武士で提供したオリジナルのクラフトビールは10種類以上に上る。
リヴシーさんが造る主なクラフトビール | |
---|---|
・トムのイングリッシュエール(ビターエール) | ・琥珀エール(アンバーエール) |
・ソヴィニヨンブロンド(ブロンドエール) | ・大湯ウィート(ウィートエール) |
・インペリアルスタウト | ・信州蕎麦スタウト(蕎麦を使ったスタウト) |
・スコッチエール | ・里武士IPA(インディアペールエール) |
・野沢サワー(ベルリナーヴァイス) | ・バレルNo.1(樽醸造) |
リヴシーさんは、英国風に固執することなく、野沢の風土と世界のビールに刺激を受けたユニークなビール造りを目指している。「私が造るビールは日本とヨーロッパの両方の影響を受けていますから、ヨーロッパの考え方を日本に持ってくることも、その逆もできるんです」。
たとえば 、「信州蕎麦スタウト」では自分たちで有機栽培した蕎麦の実を使っている。もちろん、日本では入手できなかったり、入手できても品質が十分ではない材料は輸入しなければならないが、ビール造りに欠かせないホップは自家栽培を始めた。また、将来は大麦の栽培も計画しているという。「常に最高の品質の材料を使おうと心がけています」とリヴシーさんは語る。
里武士は地元の食材を使ったフードメニューも魅力。ふだんはリヴシーさんと絵美子さんが料理をするが、ときには世界中からシェフを招き、料理とビールの組み合わせを楽しむイベントも企画している。最近では6月20日~22日に、リヴシーさんの弟で、オックスフォードのモダンブリティッシュ料理店「ブルラッシュ」のシェフ、ジョージ・リヴシーさんを招き、ポップアップレストラン(営業期間限定のレストラン)を開いた。ジョージさんは野沢の特産物でこの時期が旬の筍を使った「アスパラガスと筍のバーベキュー」のほか「エルダーフラワー(ハーブの一種)のオランデーズソース」「野生の野蒜(のびる)とごまのチップス添え」などの料理を提供。「これらの料理には信州蕎麦スタウトがとてもよく合いました。この組み合わせは地元食材の豊かさをよく表していたと思います」とリヴシーさん。
里武士の外看板。リヴシーさんは、野沢の風土と世界のビールに刺激を受けたユニークなビール造りを目指している(写真提供: Beer Cruise)
実は、リヴシーさんと絵美子さんは、パブのオープン以前から、日本と世界の料理文化の交流に取り組んできた。2012年には、英国の一流レストラン、「アウリス」と「ランクルム」のエグゼクティブシェフであるダニエル・コックス氏、スウェーデンの「フランツェン リンドベルク」のオーナーシェフで世界のトップシェフ10人に選ばれたことのあるビヨーン・フランツェン氏を招いたイベントも開催した。リヴシーさんは、その目的を「シェフたちに日本の文化と料理への理解を深めてもらい、そのお返しとして和食の素材や考え方に対し、新しい視点やより現代的なアプローチで何ができるかを日本の人々にお見せすること。なかでもこだわったのは、料理とビールとの組み合わせです」と語る。ワインと同様、ビールも料理との相性を楽しめるということを伝えていきたいという。
リヴシーさんは、これからの予定について「試飲会だけでなく、信州とその周辺の多様な食文化を伝えるための、大きめのイベントも計画しています。フェイスブックなどで告知していくのでチェックしていただきたいと思います」と教えてくれた。夫婦でビールめぐりの旅に出たため、7月は休業した。旅の経験を生かして、今後はさらにパワーアップし、店と地域を盛り上げていくことだろう。
(2014年7月 取材)
プロフィール
トーマス・リヴシー Thomas LIVESEY
1983年、英国ダービシャー生まれ。The Royal Academy of Arts Londonで美術を学び2008年に卒業。2012年、日本に移住。長野県野沢温泉村で、夫人の絵美子さんと共に、料理を芸術として発信する事業を開始。2014年1月、野沢村中心部に自家醸造のクラフトビール(地ビール)を提供するブリューパブ「里武士」を開店。
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