2012.4.17
EU-JAPAN
「マンガ」と聞いて、日本人の私たちの念頭にまず浮かぶのは、週刊誌・月刊誌に連載されたり、単行本として発行されている、いわゆるストーリー・マンガのことだろう。巨大に成長した日本の「マンガ」業界からは、日々、数多くの作品が生み出されており、「マンガ」の年間売上額は、雑誌を含む書籍全体の年間売上額の約4割を占めるとされている。
しかし、「マンガ」の世界は、週刊誌・月刊誌の連載、単行本にとどまるものでは決してない。世界には、日本の「マンガ」に加えて、アメリカ(コミックス)とヨーロッパ(バンドデシネ)の三大「マンガ」文化圏があるとされ、それぞれが独自の世界を繰り広げているのである。
日本国内では、海外で制作された「マンガ」の流通量が少ないため、海外の「マンガ」は私たちにとって馴染みが薄い。また、タンタンやスヌーピーなどは、もともとの「マンガ」作品から離れてキャラクターとして日本で定着しており、そもそも「マンガ」として捉えられていなかったりする。
ヨーロッパの「マンガ」とその魅力について、日本初のヨーロッパ「マンガ」紹介誌『ユーロマンガ(EUROMANGA)』の代表・編集長のフレデリック・トゥルモンド氏に聞いてみた。(※1)
―― ヨーロッパにはどのような「マンガ」がありますか。
トゥルモンド ヨーロッパの「マンガ」にもいろいろありますが、最も代表的といえるのは、「バンドデシネ(Bande Dessinée、バンデシネとも言う。以下、BD。)」と呼ばれるフランス語圏の「マンガ」文化です。私が編集長を務める『ユーロマンガ』は、BDを日本に紹介し、日本におけるBDのブランド化を目指して2008年に創刊されたものです。
―― 「バンドデシネ」はフランス語ですが、BDはフランス産の「マンガ」ということですか?
トゥルモンド BDはフランス語圏の「マンガ」文化を指しますが、作家がすべてフランス人ということではありません。ヨーロッパの中でも、フランスは、「マンガ」の制作や発表、流通・販売過程が発達しており、「マンガ」の質や量も充実しています。世界的に有名な強豪サッカーチームに、多国籍の先鋭選手が集まるのと一緒で、フランスには、ヨーロッパ中の最良の作家が集まっているのです。『ユーロマンガ』にも、イタリア人やスペイン人など、フランス人以外の作家から良い作品を寄せてもらっています。
―― 日本の「マンガ」とヨーロッパの「マンガ」は、どこが違うのですか?
トゥルモンド 絵を通じてストーリーが語られるという意味では、どちらの「マンガ」も同じです。しかし、これは作品の制作プロセスと関連するのですが、そのストーリーの“語り方”においては両者には大きな違いがあります。
かつては、日本でも、アメリカやヨーロッパから持ち込まれた風刺画や時事漫画などのスタイルをそのまま踏襲した「マンガ」が制作されていました。しかし、戦後、国内の「マンガ」業界の拡大と成長により、日本における「マンガ」の出版事情や、日本の「マンガ」業界のあり方は、ヨーロッパとは異なる発展を遂げました。同時に、日本独自の「マンガ」スタイルも育まれていったのです。
日本の「マンガ」は、ダイナミックなコマ割りや、ドラマティックでスピーディなストーリー展開が特徴です。世界のファンを魅了する独自のスタイルは、日本人の作家が発揮した豊かな創造性と、大量生産方式を確立・発達させていった日本の「マンガ」業界との相互作用により生まれたのだと思います。
日本の「マンガ」は、読者を惹きつけ、読者にアクションの中に巻き込まれているような感覚を与えますが、これは、週刊誌や月刊誌に連載される作品が、読者の関心をキープするため“語り方”です。手塚治虫は、この点において、日本の「マンガ」の発展に革命的な役割を果たしたと思います。
一方、ヨーロッパの「マンガ」には、コマ割りやコマの流れよりも、ひとコマひとコマの絵の完成度に重心を置いていることが特徴的です。背景を含め、奥行きのある絵が丁寧に描かれているのです。
また、日本の「マンガ」は白黒が主流であることも、日本独自の「マンガ」制作プロセスの確立・発達と深く関係しています。日本の「マンガ」は、まずは白黒の週刊誌や月刊誌に連載され、その後単行本となって発行されるという、いわば定番化した流れに乗って作成されているのです。
ヨーロッパでは、作家の創造性を表現する手段のひとつとして、「マンガ」にもこだわりのある色付けが行われています。例えば、同じ森を描くにしても、そのシーンにどのような雰囲気を醸し出したいかによって、緑で表現されたり、青で表現されたり、紫で表現されたりします。作品も、一冊読み切り型のフルカラーで、大判サイズのアルバムとして出版されます。
―― 日本の「マンガ」とヨーロッパの「マンガ」でストーリーの“語り方”が違うとすると、読み手の“読み方”も異なってくるのではないですか?
トゥルモンド もちろんです。日本の「マンガ」の読者は、主人公と一体になりながら、ストーリーの流れを“見る読み方”をします。
ヨーロッパの「マンガ」は、読者に対し、“見る読み方”ではなく、小説のように“読む読み方”をするよう促します。私は、ヨーロッパの「マンガ」の大きな特徴は、一つひとつのコマに奥行きがあることに加えて、あえて足りないコマがあることだと思っています。ヨーロッパの「マンガ」の読者は、在るコマから足りないシーンを想像して、作家の世界観を理解していかなければならないのです。ヨーロッパの「マンガ」は、読者に対して「マンガ」をより積極的に“読む”ことを求めるのです。
例えば、2人の人物が登場するシーンを考えてみましょう。日本の「マンガ」であれば、その2人を交互にコマを描き込み、人物のせりふや表情を読者に細かく“見せる”スタイルをとるでしょう。そして、読者はそれを“見る読み方”をする。ヨーロッパの「マンガ」では、一つのコマに2人の人物を引いた視点から描いて、周りから見せる描き方をします。2人に何が起きているのかを、コマの背景や色彩から読者に“読ませる”方法を取るのです。
――「マンガ」を小説のように“読む”となると、なんだか難しそうですが、ヨーロッパの「マンガ」は、読者として誰を想定しているのでしょうか?
トゥルモンド ヨーロッパの「マンガ」もさまざまですが、BDについては、私は、大人が書いた大人のための作品であると考えています。
日本の「マンガ」では、主人公の思いや考え、リアクションが丁寧に描かれますが、その根底には、「丁寧に説明することイコール良いこと」という日本人の価値観があると思います。そうした意味では、ヨーロッパの「マンガ」は説明に欠いています。私はフランス出身ですが、フランスでは、説明は子どもに対してするものであり、大人にあえてする必要はないとする考え方があるのです。そういった価値観の違いも、「マンガ」の“語り方”と“読み方”の違いに反映されているのかもしれません。
日本の「マンガ」とヨーロッパの「マンガ」は、優劣を測ったり、競い合ったりする間柄ではなく、互いの相違を尊重し、かつ楽しむ間柄にある。
異なる「マンガ」文化圏の相互作用は、それぞれの「マンガ」のさらなる進化にもつながっている。例えば、BDの代表的作家メビウスは、大友克洋や手塚治虫、宮崎駿などに大きな影響を与えたとされる。他方、メビウスも、いつもアトリエのデスク上に大友克洋『AKIRA』を置いていたと言われている。また、メビウスに限らず、ヨーロッパの「マンガ」は、日本のマンガの影響を受けて、コマ割りや絵柄のバリエーションを拡大させてきた経緯がある。
最近は、2011年に発生した東日本大震災後の復興支援を目的に、フランスを中心とする世界中の「マンガ」作家たちが作品を寄せ合い、イラスト集『マグニチュード・ゼロ』として出版するなど、異なる「マンガ」文化圏の交流が、「マンガ」を超えた新しい展開を見せてもいる。「マンガ」というポップカルチャーが、文化や国境という枠組みを越え、新たな「絆」を創出しているのである。
トゥルモンド氏の言葉を借りるならば、“日本の「マンガ」しか知らないということは、「マンガ」の世界の一部しか知らないということであり、ワンパターンしか知らないということ”。EU MAG読者の皆さんも、一度、ヨーロッパの「マンガ」の世界を味わってみてはいかがだろうか。
(※1)^ この記事では、英語圏の「コミックス」、フランス語圏の「バンドデシネ」、日本の「マンガ」などの総称として、「マンガ」という言葉を使っています。
この記事に関連する情報
http://www.euromanga.jp/
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