2025.3.18
EU-JAPAN
オーレリウス・ジーカス駐日リトアニア大使は、2022年に着任して以来、日本語によるSNSでの発信や、牛丼チェーン「松屋」とのコラボレーションなど、パブリック・ディプロマシー(広報文化外交)に積極的なことで知られる。大阪・関西万博も開催される今年、「リトアニア」を日本人に伝える新たな取り組みや、欧州連合(EU)の一員としてのリトアニアの立場などについて話を聞いた。
A. リトアニアという国は非常に小さな国で、(1990年のソ連からの)独立からわずか35年しかたっていないこともあり、日本ではあまり知られていません。「リトアニア」や「バルト三国」という名前は知っていても、リトアニアがどういう国かというイメージがわかない日本の方々がまだ大勢います。
ですから、私の大事なミッションの一つは、日本におけるリトアニアの知名度をできるだけ上げることです。SNSはもちろん、ラジオ、テレビ、本などを通じて、リトアニアをできるだけ幅広く紹介しています。
私は修士課程および博士課程で、パブリック・ディプロマシーをテーマに研究をしていました。理論だけではなく今は実践していますが、奏功しているのではないかと思っています。
A. 大使になってからリトアニアについて日本語で書かれた本を集めたのですが、専門書が割と多く、一般の方々にとって分かりやすい本が少ない印象でした。私の夢の一つは、いつか日本語でリトアニアについての入門書を書くことでした。星海社から(ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使らが執筆した)『大使が語るジョージア』という本が出版されたことを知って、私から(同社に)アプローチしました。
日本語の仮名のキーワードを通じて、簡単に分かりやすくリトアニアを紹介する本にしました。一番のチャレンジは、やはり日本語での執筆でした。今までいろいろな本を書いてきたのですが、いずれもリトアニア語か英語で、日本語で書いたのは今回が初めてです。大使の仕事もあるので週末を使い、6カ月ぐらいかかりました。
自分の母の話などプライベートな話も入っています。公式情報はインターネット上にいっぱいあるので、意図的に個人的なことを入れて、リトアニアを身近に感じてもらおうと努めました。
A. 日本人は食文化を非常に大事にしているので、食を通じてリトアニアを紹介できないかと考えていました。「松屋」は最近、「松屋外交」に力を入れていて、既にジョージア料理やポーランド料理を紹介していたので、私が「リトアニア料理もいかがでしょうか?」とたまたまSNSに投稿したのが始まりです。翌日早速松屋から連絡がありました。松屋の方が大使館にいらっしゃった時に、妻がいくつかの料理を作り、試食してもらい、一緒にメニューを決めました。
本当はリトアニアの名物料理を紹介したかったのですが、日本で実現するのは難しいということになり、今回は簡単な方法で、ハンバーグにリトアニア風のソースをかけることにしました。リトアニアの人々はキノコをとてもよく食べるので、キノコを豊富に使い、懐かしいふるさとの味に仕上げてもらいました。
これほど評判がよいとは思いませんでした。松屋の店舗がほとんどない県もあるのですが、「遠くまでリトアニア風ハンバーグを食べにいった」という声も聞き、感動しました。リトアニアの名前も、だいぶ幅広く知られるようになったと思います。
リトアニアは食料自給率が非常に高く、農産物や食品の輸出に積極的に取り組んでいるのですが、日本もかなり輸入していて、例えば冷凍パンや卵など、知らないうちに皆さんの口に入っているはずです。
A. ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(Mikalojus Konstantinas Čiurlionis, 1875~1911)は、リトアニア人にとって大事な人物で、個人的にも尊敬しています。リトアニアの芸術・文化の基礎が、彼のおかげでできたと考えています。現代のアーティストも、チュルリョーニスからいろいろなアイデアやインスピレーションを得ています。
リトアニアでは、今年は「チュルリョーニス・イヤー」としていろいろな催し物が行われ、世界各国でも関連イベントが行われています。日本では、彼の誕生日である9月22日に合わせていくつかの大きなイベントを企画していますし、来年の春には東京で「チュルリョーニス展」が開催される予定です。
リトアニアの独立直後の1992年に東京でチュルリョーニス展が開催されたことがあるので、今回は33年ぶりになります。貴重な絵画なのでほとんど海外に貸し出さないのですが、日本で展示できることは個人的にもうれしいです。チュルリョーニスの作品を通じて、リトアニアの風景や自然崇拝の文化、人々の考え方などがよく理解できるのではないかと思います。
チュルリョーニスは音楽の分野でも重要な功績を遺しました。合唱曲の作曲・編曲も数多く手掛け、合唱団の指導者も務めていました。
リトアニアでは歌の伝統が根付いており、4年に1回「歌と踊りの祭典」が開かれます。この祭典は(ラトビア、エストニアと共に「バルト三国の歌と踊りの祭典」として)ユネスコの無形文化遺産に登録されていて、昨年には1924年の第1回目開催から100周年えました。例年、リトアニア建国記念日の7月6日まで約1週間続くこの祭典では、何万人も参加者が首都ヴィリニュスに集まり、各地方の民族衣装を着て、伝統的なものから現代作家のものまで色々な歌を歌います。
旧ソ連時代は、伝統的な歌を歌うことが禁じられ、公の場所で歌うと逮捕されました。(1980年代後半の)ペレストロイカにより表現の自由が徐々に広がると、リトアニアでは人々が公の場で歌い始め、「歌う革命」と呼ばれる独立運動が起こりました。また、(1989年にリトアニア、ラトビア、エストニアの人々が一緒に手をつないで作った)「人間の鎖」では、ソ連時代に禁じられた歌を歌いながら独立を訴えたのですが、ある意味で歌の力で独立を果たしたといえます。
A. リトアニアとラトビアによる共同パビリオン「バルトパビリオン」は、一つの国ではできることに限りがあっても、仲間と一緒になればいろいろなことができるということの象徴だと思います。また、今回の万博のテーマ(「いのち輝く未来社会のデザイン」)は、私たちの世代が次世代に何を残せるのか、より美しい世界を残せるのか、より平和な世界を残せるのか、ということを考えさせるテーマだと思いますが、バルトパビリオンにも同様の意味が込められています。
※バルト三国の構成国であるエストニアは出展辞退している。
パビリオンの公式マスコットは、バルト地域の豊かな森でよく採れるポルチーニ茸を示す現地の言葉から「バラビちゃん」と名付けました。私はまだ行っていないのですが、バラビちゃんは新幹線に乗って何回も大阪に行っています。
EUに加盟してから20年以上たちました。EUに加盟して本当によかったと個人的に思っていますし、リトアニア国民の大部分も誇りに思っています。ソ連時代は牢獄の中にいた感じだったのですが、EU、そして北大西洋条約機構(NATO)に加盟してから、リトアニアは欧州および世界に戻った感じがあります。
リトアニアは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった翌日から、ウクライナ支援という立場を表明し、現在もその立場に変わりはありません。それにはニつの理由があります。
一つ目は、ウクライナがロシアに負けたら、リトアニアの存在も危うくなるからです。ロシアの動きは予測できないため、たとえEUおよびNATO加盟国であっても、リトアニアへの侵攻もないとは言い切れません。
二つ目は、今までの世界では「法の支配」が機能していたのですが、ロシアはそのルールを無視しているからです。ルールのない世界になったら、欧州の問題だけにとどまらなくなるので、「法の支配」を保つため、リトアニアはEUの仲間、NATOの仲間と一緒に手を組んで、頑張る必要があります。
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