2012.10.2

EU-JAPAN

EU代表部職員のもう一つの顔は映画監督

EU代表部職員のもう一つの顔は映画監督

アイルランド出身のレネ・ダイグナンさんは3つの顔を持っている。駐日欧州連合代表部の経済担当官としての顔、学生に講義をする大学講師としての顔、そして、ドキュメンタリー映画の監督としての顔だ。9月に発表された初の監督作品を中心に話を聞いた。

日本の自殺を何とかして減らしたい

ダイグナンさんが初めて監督・制作したドキュメンタリー映画『Saving 10,000: Winning a War on Suicide in Japan』は自殺防止についての作品だ。難しい題材であるだけに、そのユニークな切り口や手法は観る人の心をつかんで離さない。日本は年間約3万人が自ら命を絶つ自殺大国であり、この数字は過去10年間ほとんど変わっていない。日本の自殺率は米国の2倍、フィリピンの12倍にもなる。日本の医療について研究していたダイグナンさんは、メンタルヘルスケアの分野に問題があると感じ、何か自分に貢献できることがないか、と考えたという。

「日本のヘルスケアはとても政治的で経済的なので外国人が何か改善しようとするのは現実的ではありません。ただ、タブーの多いメンタルヘルスケアの分野を含めたいくつかの角度から、日本の自殺の問題について、外国人の私がドキュメンタリー作品をつくることで、問題提起をしようと思ったのです」

たった2人で映画制作に初挑戦

撮影当時を振り返るダイグナンさん(左)とアスティアさん

しかし映画制作は初めての経験だった。ダイグナンさんが、撮影や音声など技術的なことをすべて任すパートナーに選んだのは、まだ20代半ばのマーク=アントワン・アスティアさんだった。国際基督教大学(ICU)に講義に行った際、フランスから留学し経営学を学んでいたアスティアさんに、授業後に話しかけられたのがきっかけで交流が始まった。写真やビデオを撮り、DJもしていたアスティアさんなら、映画の撮影もできるのではないかとダイグナンさんは考えたのだ。そしてたった2人の未知への挑戦が始まった。

アスティアさんは、「撮影を続けながら、学んでいかなければならず、毎回とても大変でした。部屋が小さかったり、照明が不十分だったり、周りの音がうるさかったり…。そんなときでもレネは『10分で準備するんだ。君ならできる』などとプレッシャーをかけるので、初めのうちは悪夢のようでした」と撮影当時を振り返る。「僕はICUで4年間ビジネスを勉強しましたが、レネと活動したこの2年間に、それ以上のことを学んだと思います。ビジネス倫理や人とのやり取り、問題が起こった時の対処の仕方など。ほんとうに中身の濃い2年間でした」。彼はこれがきっかけとなり、ビジネスから映像の世界へと針路を変えた。

誰にでもできることがある

映画の完成までには、調査、取材・撮影、編集にそれぞれ1年ずつ合計3年かかった。インタビューした人は95人。撮ったフィルムは100時間にもなった。それを身を削る思いで約1時間の作品にまとめた。登場するのは31人。元警察官、大学教授、ジャーナリスト、僧侶、弁護士、精神科医、そして自殺未遂者など職種も背景もさまざまだ。

ダイグナンさんは「インタビューに応じてくれた人たちにとても感謝しています。でもこのことはまた、自殺の問題がほとんど語られない中、どのような方法でもメッセージを伝えたいと彼らが思っていたことの表れでもあると思います」と話す。

映画の中では、生命保険の問題やいじめや依存症、精神医療のことなど、自殺をめぐる問題の所在が順々に明らかにされ、自殺防止に取り組む人たちの活動も紹介される。そして最後に10の提言が示される。

日本の高自殺率について宗教や文化的背景が原因とする声もあるが、ダイグナンさんは、それは単なる通念だと述べ、「自殺を減らすために現実的にできることがある」と説く。たとえば、「自殺を考えている人の話に耳を傾けること。そんな簡単なことで十分な場合もあるのです」。

ダイグナンさんはまた、「私の母国アイルランドは、失業率も高いし、アルコール依存症も多い。しかし、日本よりメンタルヘルスに関する支援が充実している」と語る。

精神保健専門家にインタビューするダイグナンさん Photo by Eri Kageyama

大好きな日本に恩返しをしたい

ダイグナンさんは1997年、文部科学省の奨学金で青山学院大学に留学した。日本に来たのは「ちょっとした冒険心から」というが、この決断は彼の人生を大きく変えた。1年の予定が5年になり、「もう日本以外の場所には住みたくない」と思うまで日本好きになった。現在日本人の妻との間に1歳の娘さんがいる。「昨年の3.11の後、日本を離れる外国人もいましたが、私はそれまで以上に日本に対する気持ちが強くなりました。青山学院大学で教えるのももう10年になります。日本が私にしてくれた恩返しを少しでもしたいと思っています。この映画も私のその気持ちの表れなのです」。

「日本人のように自分も少しワーカホリック(仕事中毒)かも」というダイグナンさんはこの10年間、月曜日から金曜日までは正規の仕事、土曜日は大学での講義という週6日働く生活を続けてきた。ところが映画制作が始まってからというもの、唯一の休日だった日曜日までも忙しくなった。

「妻には迷惑をかけました。娘も1歳だし、これからはもう少し家族との時間をとりたいと思っています」と話すが、映画はこれ1本で終わりなのだろうか。「妻は、また映画を作るなら離婚すると言っています。そう言ったとき笑っていなかったので、きっと冗談ではないんでしょう」。

そんなダイグナンさんの息抜きは散歩だ。「映画の中でも言っているように、自分もストレスをためないようにしなくては」。お気に入りの散歩スポットは竹芝だという。

映画は現在海外のコンペティションに応募しているが、ダイグナンさんは一人でも多くの日本人に観てほしいと思い、日本のテレビで放映されることを望んでいる。EU経済・ユーロの専門家という重要な本業のかたわら、これから本格化する映画の広報宣伝活動で忙しい日々はまだ続きそうだ。

(2012年9月19日 インタビュー取材)

映画紹介サイト

Saving 10,000: Winning a War on Suicide in Japan

プロフィール

レネ・ダイグナン Rene Duignan

1971年、アイルランド生まれ。ダブリン大学を卒業。1997年、青山学院大学に留学し、国際ビジネスで博士号取得。青山学院大学の講師としてグローバルビジネスや欧州経済について講義を行うほか、テンプル大学のフェローとして、医療関係の講義を行う。イタリア中央銀行駐日事務所勤務後、2011年から駐日欧州連合代表部で経済担当官として、日本と欧州の経済問題を扱う。

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