南信州で田舎暮らしの魅力を発信するドイツ人

© Alexander SAOTOME-NISER

豊かな自然が広がる長野県下伊那郡売木村(しもいなぐん・うるぎむら)で、インバウンド(訪日外国人観光旅行)の推進を支援する、五月女(さおとめ)・ニーザー アレクサンダーさん。3年前に家族と移住し、以来、日本の田舎暮らしの良さを外国人の視点で国内外に発信している。新型コロナウイルスの影響で旅行・観光業は厳しさを増しているが、受け入れ再開の日を目指して準備に余念がない。

日本の美しい原風景に魅せられて

長野県の最南端に位置し、愛知県との県境にほど近い、南信州地域の売木村。山々や峠に囲まれた盆地は、まさに日本の「ふるさとの原風景」という表現がぴったりの山里である。売木村では、「海外の人たちにもこの風景を味わってほしい」という清水秀樹村長の願いで、村を盛り上げる「地域おこし協力隊」制度を積極的に活用しており、2017年に村で初めて欧州出身の隊員として移住したのが、五月女・ニーザー アレクサンダーさん(以下、アレックスさん)だ。彼は、趣味のバイクで日本各地を回っているとき、知り合いの住む売木村に立ち寄った際に、風光明媚なこの土地に魅了されたのだと言う。

売木村を囲む見晴らしのよい高原の牧場
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ベルギー生まれでドイツ国籍を持つアレックスさんは、声だけを聞いていると日本人かと思うほどに流暢な日本語を話し、ほかにドイツ語、フランス語、英語、イタリア語の5カ国語を操る“国際派”の職員だ。3年目となる2020年4月末で、アレックスさんの地域おこし協力隊員としての任期はいったん満了したものの、5月からは売木村集落支援員として活動を続けている。

まだ知られざる日本の田舎の良さを伝えたい

アレックスさんは、築約百年の古民家を改修し、海外からのゲストをもてなす村の体験型観光案内所「うるぎ国際センター」の運営管理をしている。ここでは、昔ながらの慣習を守りながら日本人がどのように生活していたか、リアルな文化や歴史を直に知ることができる。ふすまで仕切られた和室や、火のちらつく囲炉裏などを実際に使えるのは、ゲストにとっては大きな魅力となっている。

築約百年の古民家を改修した「うるぎ国際センター」の座敷
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アレックスさんが売木村で目指すのは大人数が詰めかける大型観光ではなく、4人程度までの個人グループを対象とした、農業体験や日本文化とのふれあいができる観光拠点だ。東京、京都、広島などの有名な観光地をすでに訪れた外国人が次に体験したがるのは、全く違う日本の田舎。「売木村は外国人にほとんど知られていませんが、そこがかえって魅力なんです」とアレックスさんは語る。

センターは旅館やホテルではないため、通年の宿泊は提供できないが、民泊として年間105日までゲストの宿泊が可能だ。食事を出せない代わりに、食材を調達して皆で調理することは許可されているので、夏はバーベキュー、冬は鍋でにぎわう。2019年2月にオープンしてから約1年が経ち、ドイツ、イタリア、スペイン、インド、イギリスなど国内外から、これまで口コミで100人以上のゲストが訪れている。

村には牛の牧場があり、ヤギを飼っている人もいる。また、五平餅作りが得意な人がいるかと思えば、ソーセージの製造を考えている移住したてのフランス人一家もいる。県外や海外からのゲストがこうした村の文化や特産品を味わうことができれば、それこそが地域の価値を創造する「地域おこし」となるはずだ。手作りした炭で地元牧場の肉を焼き、竹筒で炊いた村のお米を味わう――これ以上のぜいたくはあるだろうか。村にある温泉旅館やキャンプ場に泊まることもでき、センターを通してゲストが増えれば、村全体も活気づいていくに違いない。

囲炉裏を囲んで郷土料理の五平餅を楽しむゲストの皆さん
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冬にいただく鴨鍋は大好評
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多文化の中で育まれた国際感覚と好奇心

もともとベルギーのブリュッセル郊外で育ったアレックスさんは、川で遊んだり、木に登ったりしてのびのびと自然に囲まれて育った。父親がベルギー人、母親がドイツ人の家庭に生まれたアレックスさん自身、ベルギーとドイツの2国籍を持っている。

ベルギーでは、地域によってフランス語、ドイツ語、オランダ語が使われている。アレックスさんは「朝ごはんの牛乳パックに、フランス語やオランダ語などの違う言葉が並んで書かれていて、いつも面白いと思っていました」と、小さい頃から言語に対して興味を示していた。小学校3年生のとき、現地校から欧州連合(EU)が運営するヨーロピアン・スクールへ転校した。「私はフランス語のクラスに入ったので、フランス語を話すベルギー人とフランス人が混ざっていました。隣りはドイツ語のクラスでしたし、その隣りでは別の言語のクラス。いろいろな国々から来た生徒たちがいて、顔形は似ているのに話す言葉が全く違うのは楽しかったですね」と話す。

さらにアレックスさんの母は、欧州共同体(EC、当時)発足から関わり、ブリュッセルの欧州委員会で通訳・翻訳業務に携わり、のちに事務を担当していた。「学校帰りに時々、母の職場で宿題をしました。建物に入ると、廊下にある各部屋の扉は開けっ放しで、あちこちの部屋からポルトガル語やギリシア語などのいろいろな言語が聞こえてきて、すごくいいなと思いましたよ」。外交官として活躍する伯母など、親戚にもEU関係者が多い。

うるぎ国際センターを訪れた人たち。旅行者も国際色豊かだ
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中学校から高校にかけては、ドイツ北部にある全寮制学校に通い、その後自らも欧州を出て広い世界を体験することに。オーストラリアの大学に入って観光学とビジネスマネジメントを学び、学業の合間には、未知の国々に対する旺盛な好奇心を満たすべく友人と世界各地を旅した。その体験を通して、どこで暮らしても現地になじみ、誰とでもスムーズにコミュニケーションが取れるスキルを磨いたのかもしれない。オーストラリアでは、後に妻となる日本人留学生と出会い、アレックスさんは愛知県へやってきた。

来日した当初、マンションや会社寮に住んでいたが、狭いし家賃も高い。結婚して2児の父となり、子どもたちを自然の中で自由に育てたいと考えていたアレックスさんにとって、豊かな自然に恵まれた売木村は打ってつけの場所だった。

すっかりなじんだ村の一員として

売木村への移住が決まったとき、清水村長に付き添ってもらい挨拶回りをした。「小さい村で『何をやっている人?』と皆が心配するので、『変な人じゃありませんよ、日本語もちゃんとしゃべれますよ』と自己紹介しました」と笑う。来日当初に英語教師を務めていた頃の経験から、アレックスさんは気軽に子どもへ声を掛ける。「都会だとこうはいきません。子どもたちはゲストにもちゃんと挨拶をします。そのような温かい雰囲気がこの村にはあります」と顔をほころばせる。今では隣人と世間話をしたり、野菜作りについてアドバイスをもらったり、炭作りに参加したりするなど、すっかり村に溶け込んだ。

秋には子どもたちと米の収穫
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新型コロナウイルスの問題が収束したら、売木村ならではの付加価値を生かし、自然体験や農業体験と観光を組み合わせて活動の幅を広げたいと考えている。外国語を子どもに習わせたい親が多い昨今、子どもを対象とした英語やドイツ語、フランス語の「国内ミニホームステイ」も一案である。清水村長は「海外からはもちろん、日本に住んでいる外国人に来てもらう際、センターが村の窓口になる」と話す。今年5月の連休明けには、フランス人の一家が移住してきた。「人脈が広がってありがたいです。これもアレックスさんがセンターを始めてくれたおかげですね」と、今後の活躍に期待を寄せる。

自分はどこの国の人だと思うか? という質問に対して、迷わず「私は欧州人だと思います」と答えるアレックスさん。しかし「売木村はパラダイス。森や川が近くにあり、庭もあって、子どもたちは自由に外で遊べます。ずっとここに住みたい。妻もそう言っています」と気に入っている。コロナ禍でセンターは現在閉館中だが、畑作りをはじめ屋根や壁の改修、テーブルの修理、障子の張り替えなど、やることは山積みだ。アレックスさんは「そのうちコロナ騒ぎが収まれば、自然に興味のある人や、海外からのゲストがまたやってきます。希望を持ちつつ、今はするべきことをきちんとして、学びの期間にしたい」と、売木村での生活を楽しんでいる。

子どもたちを連れて田植えに行くアレックスさん
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プロフィール

五月女・ニーザー アレクサンダー Alexander SAOTOME-NISER
ベルギー生まれ。ベルギー、ドイツ、オーストラリアで学んだ後、2011年に来日。愛知県の自治体でALT(外国語指導助手)の英語教師を務めた後、自動車メーカーで特許関連の翻訳や通訳業務などに携わる。売木村の自然に魅せられ、2017年に移住。地域おこし協力隊の隊員として観光拠点となる「うるぎ国際センター」を発案し、運営管理を始める。農作業や炭作りなど、妻・2人の子どもと田舎暮らしを満喫しながら、さまざまな人々との関わりを持ち、村全体の価値創造を考えている。

うるぎ国際センター」のFacebook(英語)