日本の水産加工品のおいしさを欧州全土に届けたい

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アジの開き、子持ちシシャモ、サバのみそ漬け、ウナギのかば焼きなど、日本ならではの魚介類の加工品が、欧州の家庭でおいしく味わえる――。オランダで水産加工品会社「北海水産」を経営するマリナスさんは、26年前の創業以来、単一市場誕生やユーロ導入などを追い風に、これらの“本物の味”を欧州各地へ届けてきた。本年の日・EU経済連携協定発効や、農林水産省から「海外における日本産食材サポーター店」に認定されたことも相まって、マリナスさんは今、さらなる事業展開に意欲を燃やしている。

日本で味わった干物のおいしさに魅せられて

「これがね、わが社の原点、アジの開き。一つひとつ大切に開いて干して作る、自家製の日本の味。絶対においしいですよ」。ベルギー・ブリュッセルで開かれた水産加工物の「お魚販売会」で、流暢な日本語でお客さまに説明をしている、マリナス・ノーデンボスさん。オランダ・アムステルダムから北西へ40キロメートルほど離れた所にある、北海に面した港町エイマウデンに本社を置く水産物加工・販売会社「北海水産」のオーナー社長だ。マリナスさんの説明には熱がこもる。それもそのはず、今では70品目にも上る商品を取り扱う北海水産だが、最初はアジの開き一つで事業を始めたからだ。

「お魚販売会」で熱心に商品の説明をするマリナスさん(右)。北海水産の商品を買いに来るのは在欧邦人だけでなく、欧州人のお客さまも多い
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タイやベトナムなど東南アジア諸国のOEMメーカーが北海水産用に製造する品々も、自慢の人気商品だ
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マリナスさんは6人きょうだいの末っ子。兄や姉とは違って、高校を卒業しても大学へ行かずにぶらぶらとしていたマリナスさんを、大手漁業会社を経営していた父親は、当時アジの主要輸出先だった静岡県沼津港にある「マルヤ水産」に送り込んだ。創業から120余年の歴史を持ち、昔ながらの製法で開き干し(内臓を取り除き、開いた状態で干したもの)を作っている現場は、来日したばかりの18歳のマリナスさんの目には「全くの別世界」に見えたという。

ここでマリナスさんは、熟練の職人の間でもまれながら、開き干しの製法をはじめ水産加工品の製造について一からたたき込まれた。最も感動したのは、「日本人が魚をとことんまで大事に扱うこと」。身の部分はもちろん、頭や尾、骨や皮にこびりついた部位まで無駄を出さない。欧州には、魚に対するこうした丁重な扱いや強い思い入れはないからだ。当時マルヤ水産の社長だった増田泰一さん(現理事長)、そして後を引き継いだ現社長の藁科正美さんは、遠く離れた欧州から突然現れたマリナスさんを身内のように受け入れて指導した。マリナスさんは今でも、この2人を「日本のお父さん、お兄さん」と言って慕い続けている。

沼津で修業中、藁科さん(右)に魚の開き方を指導してもらうマリナスさん
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アジの開きで見いだした北海水産の活路

日本に滞在した10カ月の間には、後に妻となる有紀子さんとの出会いもあった。日本で修業した経験を基に、マリナスさんは母国オランダで一旗揚げようと勇んで帰国したものの、そう簡単にはいかなかった。ロッテルダムのサバ薫製工場で工員たちとなじめなかった上に、アジア系食料品店の運営会社からオランダとベルギーにある店の経営を任されても、次々と破綻。有紀子さんと2人、無一文で両親の家に身を寄せていたときに、マルヤ水産で製法を覚えた干物を売ってみようと、台所で試作したのが「アジの開き」だった。

オランダ応用科学研究機関(TNO)から安く払い下げてもらった中古の食品用乾燥機で、開いたアジを懸命に乾かした。出来上がったアジの開きをトレーに見栄え良く並べてラップをかけ、冷凍したサンプルを幾つかの企業に持ち込んで営業しようと試みた。1社目は、日系大手水産食品会社のアムステルダム支店。ところが輸送の途中で大渋滞に遭い、予定の時間に大幅に遅れただけでなく、自慢のアジの開きがすっかり解けてしまい、惨めなありさまだった。大勢の社員がぐるりと並んで座る大きな会議室に現れた日本人の責任者は、水が滴り落ちるサンプル品をつまみ上げて高く掲げると、恐縮し切っているマリナスさんと有紀子さんを無言のままじっと見つめたという。「穴があったら入りたかったよ」と、今でもマリナスさんはその時の恥ずかしさを思い出すと言い、大きな両手で顔を覆った。

数日後、意気消沈する2人の所へ電話があった。「味は見かけよりも良かった。もう一度、来てみないか」。やがて、マリナスさんたちが丹精を込めて作ったアジの開きが商品化された。以降、その方はマリナスさんにビジネスの基礎を教えてくれたばかりか、長い間、商品開発のアイデアやアドバイスを与えてくれる大事な師匠となった。

マリナスさんが心血を注いで商品化したアジの開きは、北海水産の原点だ
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EUの単一市場やユーロ導入とともに成長を遂げる

北海水産が産声を上げた1993年は、折しも1月に欧州連合(EU、当時は欧州共同体)12カ国で単一市場がスタートし、国境の検問や通関手続きが取り払われた年だった。北海水産の冷凍トラックは隣接する国々を自由に往来し、自社製品を販売できるようになった。

民家の台所での試作から出発したマリナスさんと有紀子さんは、中古のリーファーコンテナ(大型冷凍・冷蔵庫のように温度設定ができる輸送用コンテナ)を購入して自宅近くに設置。これが北海水産の最初の工場となった。数カ月のうちに、干しカレイやみりん干し、サケなどの刺身の取り扱いも開始。90年代の半ばには、マルヤ水産経由で調達した業務用のみそや粕を使い、有紀子さんが漬け魚(みそ漬け、粕漬、西京漬け)などを作るほか、味付けをせずにそのまま売る切り身や三枚おろし、ワカサギなども加わって、品ぞろえはぐんと広がった。

北海水産の主たるビジネスモデルは、月に1回のペースで受注し、都市ごとに決まった日に冷凍トラックで直配するというものだ。直配を商売として成立させるために、最低限の発注金額を設定。個人や各家庭はもちろん、数人が集まって1つのグループを組み発注することも可能で、注文した商品を代表者が受け取り、支払いを済ませるというのが基本的な流れだ。宅配する都市は、アムステルダムやロッテルダムに始まり、EUの単一市場の誕生やユーロトンネルの開通、加盟国拡大とともに、あっという間にベルギー、ドイツ、フランス、英国、チェコ、オーストリアの各都市へと広がった。冷凍トラックによる直配と冷凍空輸での宅配サービスを合わせると、現在15カ国で販売している。

マリナスさん(左)と有紀子さん。壁に貼られているのは北海水産が販売している場所にピンを押した欧州の地図だ
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単一市場の誕生や単一通貨ユーロの導入も、北海水産のような中小事業者には大きな追い風となった。当初はギルダー(オランダの旧通貨)やフラン(フランス、ベルギーなどの旧通貨)で別々の価格表を作り、国境をまたぐ送金や換金で多額の為替手数料がかかった。今ではテクノロジーが進化してローミングの壁などもなくなり、欧州中のどこからでも、冷凍トラックのドライバーが持ち歩くモバイル支払い端末や家庭でのネットバンキングを利用して、お客さまはまるで国内にいるかのように決済できる。「欧州中のどこを運転していても、どんな国のお客さまや取引先に対しても電話やインターネットを通して仕事を続けられる。“国境のない欧州”というEUの原則は、私のビジネスの中核にあります」と、マリナスさんは力強く語った。

日本らしい海産物の“本物の味”を知ってほしい

欧州に駐在する日本人は、頻繁に入れ替わる。「近年、欧州に来る若い駐在員とその家族の皆さんの中には、日本にいてもコンビニやファミレスなどを利用し、子持ちシシャモやサバのみそ漬けなんて食べない人もいるので、本物の味への渇望や郷愁が薄くなってきたのでは」とマリナスさんは嘆く。一方、欧州人の食生活は確実に変化している。魚介類を好む人が増えて、バター焼きやフライ以外の魚料理も知られるようになった。寿司はすっかり定着しているし、北海水産のビジネスチャンスは欧州人に対しても着実に広がっている。

マリナスさんは、若い日本人や欧州の人々にもっと日本伝統の水産加工品の味を知ってもらおうと、新しい試みを始めている。その一つは、2010年に本社工場に併設して海鮮料理レストラン「北海キッチン」をオープンしたことだ。また、お客さまと直接対話しながら調理方法をアドバイスしたり、要望を聞いたりする「お魚販売会」も欧州各地で開催している。マリナスさんにとって、お客さまとのコミュニケーションはとても大事。年に3回本社で開催する「オープンデー」では、マグロを丸々1本、お客さまの目の前でさばいて見せ、北海水産の商品をおいしく味わってもらうスタンドも並べる。毎回1,000人近くもの来場者が集う北海水産最大のイベントだ。

オープンデーでクロマグロを解体するマリナスさん。北海水産では、大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)が定めた基準に準拠したクロマグロのみを扱っている
© Marinus Noordenbos

子持ちシシャモ、銀ダラの西京漬け、サケの粕漬け、焼きサバの盛り合わせは、北海キッチンの人気メニューの一つ
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今日の欧州では和食の人気に伴い、食品卸業者や大手飲食業者などからの需要も高まっている。しかしマリナスさんが、消費者に商品を直接届けるB to Cのビジネスに今なおこだわり続けるのは「ひとえに、お客さんのうれしそうな笑顔を直に見たいから」だという。

EUの発展とともに広がる将来の夢

「日・EUのEPAのおかげで、日本産のブリが安くなるよ」とマリナスさん。すでに2019年2月1日以降、これまでブリに課された関税が撤廃され、ホタテや中華風味ワカメなどにかかる関税も今後段階的に下がっていくので、次第にお客さま向けの価格にも反映されていくことになるという。これを機に、マリナスさんは新規商品開発にも余念がない。今年中には、欧州ではまだ珍しい「つくだ煮」の輸入を始めるほか、刺身用タイの輸入も検討中だ。

今年、北海水産は「海外における日本産食材サポーター店」に認定された。写真はジェトロ・アムステルダム事務所の高橋由篤所長(左)から認定証を受け取るマリナスさん
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マリナスさんには、逆に欧州から日本へ発信するビジネスをやってみたいという構想がある。今は日本からの引き合いが多くて大忙しだが、お世話になった日本の師匠たちと一緒に、独自の付加価値が付けられるような事業を始めたい。「和食の普及に貢献したということで、今年に入って、農林水産省から『海外における日本産食材サポーター店』に認定されたばかり。いつか、オランダ国王や天皇陛下から勲章をもらうのが夢なんだ」と、マリナスさんは満面の笑みを見せた。

マリナス・ノーデンボス Marinus Noordenbos

1972年、オランダ・エイマウデン生まれ。高校卒業後、静岡県沼津市にある干物専門会社「株式会社マルヤ水産」で修業。1993年、水産加工品の製造・輸入・販売を行う「北海水産」を創業。アジの開きをはじめ約70品目を取り扱い、欧州15カ国にわたる5,000以上の顧客グループに向けて冷凍配送・販売している。妻の有紀子さんと二人三脚で始めた北海水産は、現在20名の従業員と、手伝ってくれる3人の娘さんたちに支えられている。