神道のこころを欧州に響かせたい、オランダ人宮司の願い

© Michiko KURITA © 山蔭神道日蘭親善斎宮

古来、七五三や地鎮祭などの行事を通して、多くの日本人が神道と身近に接してきた。オランダのアムステルダムにある「山蔭神道日蘭親善斎宮」で、こうした儀式をつかさどり、神道のこころを伝えているポール・ド・レオ宮司。彼がどのように神道と出会い、なぜ欧州で宮司を務めているのかを聞いた。

オランダで生まれた外国人宮司の神社

アムステルダム中央駅から路面電車に揺られて約20分。内陸に入り込んだ海と細い運河に囲まれた、アムステルダム郊外で見られる典型的な住宅地の一角に、「山蔭(やまかげ)神道日蘭親善斎宮」がある。ここで1981年以来、宮司(神社の長である神官)を務めているのがレオ氏だ。

世界を見渡すと、日本人が大量に移民した国や、日系企業が進出し日本人駐在員とその家族が多く住む都市に神社があることは珍しくない。だが、レオ宮司のように、海外で神職に就き活躍している外国人の存在は、極めて稀だといえる。

多くの日本人にとって、神道は数々の行事などを通して古くから暮らしに溶け込んでいるとはいえ、神宮・大社・神社などの違いを知っていたり、神道の教えをはっきりと認識したりしている人は少ないかもしれない。レオ宮司が伝える山蔭神道は、神社本庁傘下のいわゆる主流派の神社神道とは異なり、瞑想などを通じた個人の修行を重視する「古神道」に属する。レオ宮司によると、「日本では明治時代以来、国家と神道が結び付いて政治色を強めていった一方で、古神道は個人の修行を重んじながら細々と受け継がれてきた」という。日本でも少数派の古神道を受け継ぐ神社が、オランダで生まれたというわけだ。

道場開設30周年の特別な記念式典を行うレオ宮司(左から2人目、2011年)
© 山蔭神道日蘭親善斎宮

一瞬にして神道に魅せられて

レオ宮司が初めて神道と出会ったのは、1977年にパリで開かれたワークショップ「人間性回復道場」でのこと。欧州の人々に日本の伝統文化や芸能を学んでもらうために、フランス文化庁が主催したものだった。「それまで、日本について知っていたことといえば、能、歌舞伎、それにクロサワ(映画監督の黒澤明)くらいのものでした。私はもともと、演劇を勉強していましたからね」。それまで一度も聞いたこともなかった神道に「一瞬にして虜になってしまった」と、レオ宮司は回想する。なぜ、それほどまでに神道に魅了されたのだろう。

もともと敬虔なカトリック教徒の家庭で育ったレオ氏だが、18歳になった頃には、「人生の意味とは? 善悪とは何か……」といった問いに対する答えを探すために、キリスト教の枠を超えてむさぼるようにさまざまな本を読み、考え続けるようになった。そこで出会ったのが神道である。

例えば、世界三大宗教といわれるキリスト教、イスラム教、仏教では、聖典や教典を読んだり聖職者の教えを聴いたりすることで学びが始まる。一方、特に古神道では「智慧は体験を通してのみ得られる(Wisdom via experience)」、つまり答えは文字や摂理からではなく、身体を使わなければ体得できないと説く。それを知った瞬間、懊悩していたレオ氏に衝撃が走ったという。

「学ぶ前に、まず道場を雑巾掛けする。清掃から始めると、不思議なことに心まで清められていくのが感じられます。こんな体験は初めてでした」。ワークショップでは、心の底から笑うこと、呼吸法、合気道の歩き方などを実践的に学び、レオ氏は次第に神道の世界に引かれていった。

日本で本格的に神道を学びたいと考えた彼は、ワークショップの先生から山蔭神道家の第79世である山蔭基央(もとひさ)氏を紹介され、1979年当時、浜名湖畔にあった貴嶺宮(きれいぐう)で修行を開始。2年後には宮司の免許を取得した。「本当は日本に残りたかったのですが、基央氏に『レオはオランダに帰って、〈神道のこころ〉を欧州に伝えなさい』と勧められて」。こうして、アムステルダムに神道の道場を開くことになった。

(左)真冬の浜名湖でみそぎをするレオ氏(右から2人目、1979年)© Fujii Hideki
(右)宮司の免許を取得した頃のレオ氏(1981年)© Komuro Yoshitsugu

世界に通じる神道を身近な存在に

レオ宮司の一日は、早朝のみそぎ、つまり冷水シャワーを浴びることから始まる。そして朝夕にはそれぞれ30分の神拝(お勤め)をし、祭壇に供物を奉納する。かつては米の代わりにパンを、日本酒の代わりに地元の「ジェニーヴァ」(オランダ・ジン)と呼ばれるアルコール飲料で代用していたが、「今では、米も日本酒も容易に手に入るようになりました」と喜んでいる。ただ、榊(さかき)だけは入手できないので、欧州でも手に入る常緑低木の枝で代用しているのだそうだ。

欧州で暮らす日本人に向けてお宮参りや七五三、結婚などの儀式を行ったり、神道のこころを感じてもらうために、お祓いしたお守りや千歳飴なども用意したりする。日系企業の社屋や工場設立の際には、地鎮祭や安全祈願、棟上げ祭、竣工祭を執り行うために、オランダ国内はもとより、ベルギー、ドイツ、チェコなど欧州各国へ出向くことも多い。

在オランダ日系企業のために執り行われた地鎮祭(1995年)
© 山蔭神道日蘭親善斎宮

欧州に居ながらにして、本格的な祝詞を上げてもらい、お祓いを受けることができる。写真は七五三祈願の様子
© 山蔭神道日蘭親善斎宮

神道のこころを広く伝えるために、本や解説文の執筆もするし、現地マスコミからの取材を進んで受けたり、各地で神道についての講演を行ったりもする。また、欧州の人々に向けて「神道体験エクササイズ」を毎週道場で開いているが、これは、手水(てみず)に始まり、着座、瞑目静思(めいもくせいし)、「二礼・二拍手・一礼」のほか、言霊を唱えたり、呼吸法を行ったり、黒点を凝視したり鏡を用いたりするなど、2時間余りかけて多くの行法を実践するもの。

「そうそう、先週も高校生から体験エクササイズへの申し込みがありましたよ。最近は『SHINTO』を知っている若い子どもたちが増えてきました。神社が出てくるアニメもあったようですね」。確かに、欧州でも「MANGA」や「ANIME」は人気が高い。海外での日本映画興行収入の最高記録を塗り替えたことがまだ記憶に新しい長編アニメーション映画『君の名は。』(2016年・新海誠監督)では、神社の家系に生まれた主人公の少女が巫女として舞うシーンや、少年がご神体を訪れるシーンなどが印象的に描かれている。外国の若者に対し、漫画やアニメーションを通して日本の文化が自然と伝わっているわけだ。

その一方で、レオ宮司は「オランダの高齢者の中には、『SHINTO』という言葉に暗い過去の記憶を重ねる人もいるのです」と顔を曇らせた。第二次世界大戦中、オランダの植民地だったインドネシアへ侵攻した日本軍の捕虜となった人々は、神道と聞いて戦争の悲劇を思い起こすのだそうだ。

レオ宮司がオランダで神道のこころを広めるようになって30年余り。「神道体験エクササイズ」への参加者は、延べ8,000人を超えた。経典や戒律がなく、体験を通してしか気付くことができない古神道のこころは、一度に多くの人々へ伝えるのが難しい。しかし、レオ宮司は次のように言う。「神道で実践を通して得られるのは、温かくユニバーサル(普遍的)なもの。日本固有というより、世界で万人に通じるこころです」。

神道を通して希求する平和への願い

「オランダは、欧州の中でも自然保護や環境問題に対して先進的ですね」と投げ掛けると、「現代のオランダ人には、自然への謙虚さや感謝の気持ちが欠けている」という意外な答えが返ってきた。オランダの人々は、1953年に国土の大半が水面下に沈む大洪水を経験し、その結果、国中を縦横に貫く運河や人工緑地を造成し管理することで復興・発展してきたという自負がある。だが、「それは自然から取れるだけのものを取って自分から与えようとしない、行き過ぎた態度」だと、レオ宮司は諭す。

「でも、私は悲観主義者ではありません。大地の恵みに感謝し、金銭や物欲が第一の物質主義から脱してバランスを取りながら、自然や他者と共生する。世界はテロや犯罪、戦争といった問題があふれていますが、異なる宗教の懸け橋になり、分断された人々を再びつなぐ仲介者に、神道はなれる可能性を秘めているのです」。

アムステルダムのマルチン・ルター教会で行われた、宗教の違いを超えた「平和の祈りシンフォニー」にも参加した(2011年)
© 山蔭神道日蘭親善斎宮

プロフィール


ポール・ド・レオ Paul de Leeuw
山蔭神道日蘭親善斎宮 宮司

1947年、オランダ・ロッテルダム生まれ。ライデン大学で現代文学と演劇を専攻。1977年、演劇集団を率いていた頃、パリで行われたフランス文化庁主催の「人間性回復道場」に参加し、神道と出会う。1979年、山蔭基央氏に師事し、古神道の流れを継ぐ貴嶺宮にて修行を開始。1981年、オランダに神道の道場を開設(神名:獅子御柱彦)。2006年、日蘭親善400周年を記念して、道場を「山蔭神道日蘭親善斎宮」と改名。