母国でこだわりの納豆を広めるフランス人

© Laurent Villatte

近年の健康ブームで、健康食品やダイエット食品として欧州に広まっている納豆。フランス南部のドラギニャンで、本場日本の味を超えるほどおいしいと評判の納豆を作っているローラン・ヴィラットさんに、人気の秘訣やフランスならではの食べ方を聞いた。

欧州の健康ブームに乗って納豆の人気が上昇中

外務省の調査「海外における日本食レストランの数」によると、2017年現在、欧州には約1万2,200店の和食レストランがあるという。2015年の約1万550店から2割増と、かなりの勢いで増えていることになる。

和食レストランに行くだけでなく、健康への配慮から、自宅でも和食を好んで食べる人も多い。特に女性の中には、夏には毎日こんにゃくを食べてダイエットを試みる人や、更年期障害に大豆食品が良いとのことから、豆腐の入ったみそ汁を毎朝飲むように心掛けている人もいる。さらに、欧州で和食が広まったのは、以前なら日本の食品を専門に扱っている店でしか購入できなかった高価な食材が、今では各地にある自然食品の店で、欧州産のみそ、梅干し、こんにゃく、ごま塩などがリーズナブルな価格で購入できるようになったからだ。

欧州で定着している数ある日本の食品の中で、日本人の一部にさえ敬遠され、独特の臭いと糸を引くねばねばの食感から「臭くて気持ち悪い」と悪評の高かった納豆が、今や健康ブームに乗って人気上昇中だ。いったいなぜなのだろう? 南仏マルセイユとニースの中間に位置するドラギニャンで、「ドラゴン納豆」を生産しているローラン・ヴィラットさんに、納豆の魅力を知り、やがて納豆作りを志すまでになったいきさつを聞いた。

ドラゴン納豆のパッケージには、使用している大豆がフランス政府による厳しい基準をクリアし、有機農産物「AB」に認定されたことを示すラベルと共に、EU統一の厳格なルールに則って生産された有機食品であることを証明する「ユーロリーフ」のロゴが表示されている
© Michiko Kurita

 

“三度目の正直”で確信した納豆の味

ヴィラットさんは25歳の時、青年海外協力隊員にフランス語を教える教師として1973年に初来日した。納豆に出会ったのは、その翌年のこと。「最初は、全くおいしいとは思わなかったんだよ」とヴィラットさんは笑う。しかし、日本の友人から「ローラン、まあそう言わずに3回食べてごらん。きっと好きになるよ」と勧められ、再度挑戦。友人の言うとおり、3度目にして「発酵食品ならではの香りが良く、歯応えもあっておいしい!」と思えたそうだ。

新宿の街を歩く、初来日した頃のヴィラットさん。かつて祖父が明治時代の日本を観光で訪れ、フランスの自宅にも琵琶が飾られていたほど日本好きな家庭に育ち、ヴィラットさんは子どもの頃から日本に親しんでいた
© Laurent Villatte

3年間の日本滞在を終えてフランスに帰国したヴィラットさんは、しばらくはノルマンディーの自宅で、その後はより気候の温暖な南仏のドラギニャンで、引き続き日本人にフランス語を教えていた。納豆を作り始めたのは、ドラギニャンに引っ越してからのこと。大好きな納豆を買おうにも、南仏にはパリにあるような日本の食品を扱った専門店がない。そんなある日、日本の友人が「ローラン、これは宝物だよ」と言って納豆菌をプレゼントしてくれた。ずっと引き出しに入れたままにしていたが、ある日、「おいしい納豆が手に入らないのなら、自分で作ってみよう」と思い立った。

狂牛病の発生を機に納豆の普及を決意

1990年代の半ば、英国で発生した狂牛病が欧州各地を襲い、人々が肉食に対して懐疑的になっていた時期でもあった。「肉に代わるタンパク源として、納豆を売り出したらどうだろう?」というアイデアが湧いた。そして1998年に再来日し、納豆の本場である茨城県水戸市を訪ね、納豆工場を見学したり、熟練の職人たちを質問攻めにしたりして、貪欲に知識を吸収。帰国後、さっそく納豆を作るためのアトリエを自宅に構えた。

蒸し終わった大豆に納豆菌を混ぜ、容器ごと発酵棚に置くヴィラットさん
© Laurent Villatte

納豆作りに適した蒸し器や発酵棚をフランスで入手するのは困難だったため、代わりになる道具をあちこちで探して使った。もっと苦労したのは、大豆の蒸し具合や発酵状態を調整すること。日本人のお客さんから「ちょっと固すぎる」、「もう少し発酵させたら」などと率直なアドバイスをもらい、それらを手掛かりに試行錯誤した。フランス語教師を続けながらも、数年間で自分なりにコツをつかみ、ついに味と品質の安定した納豆を生産できるようになった。

ヴィラットさんの納豆作りは、毎日少しずつ大豆を選り分けることから始まる。こだわりの大豆は、フランス政府が認定する有機農産物「AB」ラベル付きのトゥルーズ産。注文の量に応じて大豆を一晩水に浸け、きれいに洗ってから2時間蒸す。蒸し終わったら、日本で購入した納豆菌を加えて混ぜ、プラスチックの容器に移す。そして20時間、セ氏40度に調節した発酵棚に置き、その後は冷蔵庫で冷やす。

品質を重視し、週に約350個を生産

ヴィラットさんが名付けた「ドラゴン納豆」という商品名は、ドラギニャンの地名の由来となったドラゴン(竜)伝説にちなんでいる。当初、ヴィラットさんは作ったドラゴン納豆を、在仏日本人コミュニティーや、マクロビオティック(玄米や野菜、海藻などを中心とした食事法)を実践しているフランス人を対象に、細々と販売していた。ところが10年前、日本の友人に勧められて、パリで発行されている日本語のフリーペーパー『オヴニー』に小さな広告を出してから、途端に風向きが変わった。売り上げが飛躍的に伸び、今や在仏日本人でドラゴン納豆を知らない人はいないほどにまで広まっている。

ヴィラットさんが移り住んだドラギニャンの町。昔、この土地の山に住んでいたドラゴンを僧侶が退治して人々を救ったという伝説が地名の由来
© Camille Moirenc

ヴィラットさんは現在、フランス語教師を辞めて納豆作りに専念し、週に約350パックのペースでドラゴン納豆を生産している。1つ4.33ユーロ(約590円)は高価に思えるかもしれないが、大豆の品質にこだわっている上、1パック150gという大容量なので、比較的リーズナブルといえる。フランスで有名な自然食品チェーン店「Biocoop」にも卸しているが、3週間しか保存できず、また時間が経つと臭いが強くなることから店舗での販売はなかなか難しく、販売はメールと電話による通信販売が中心だ。近隣国のベルギーやオランダなどへ発送していた時期もあったが、現在は品質維持のため、フランスだけで限定販売しているという徹底ぶりだ。

肉食中心の食生活を納豆が改善

2001年にパスツール研究所が発表した論文によると、納豆に含まれるタンパク質は、善玉コレステロール(HDL)値を上げて悪玉コレステロール(LDL)値を下げる働きがあり、血中の脂質を下げる作用があるといわれている。これは、フランス人に最も多い死因の心血管疾患を予防するため、脂質が多くなりがちな肉食中心の食生活を改善するには最適だという。また、納豆には骨の形成に重要なカルシウムやビタミンKが多分に含まれているので骨粗しょう症の予防になる上、大豆由来のイソフラボンの一種、ゲニステインという含有成分には抗がん作用もある。

「ドラゴン納豆」の常連客で、1~2カ月ごとに毎回40パックを注文するフランス人のお客さんがいる。初めて受注した時、間違いなのではと思って電話で確認してみると、「納豆は動脈硬化で病んでいた私の母を救ってくれました。だから毎日食べているのです」という喜びの声が返ってきた。

昔の日本で食べられていた懐かしい味

ドラゴン納豆の特徴は、十分な歯応えがあることと、良質の大豆ならではの味がすることだろう。さほど味が無くてもタレをかけてごまかすような、大量生産品とは明らかに違う。日本人の常連客から「子どもの頃に日本で食べていた納豆の味が、ちゃんと再現されている」と賞賛されているほか、ドラゴン納豆の味に慣れた日本人の子どもが、一時帰国して市販のものを前にし、「おいしくないよ……ドラゴン納豆でないと嫌だ」とごねて困った親御さんもいるそうだ。

最後に、ヴィラットさんにフランスならではの納豆の食べ方を聞いてみた。「サラダに添えて食べるフランス人が多いかな。夏には、オリーブオイルをかけて冷たいラタトゥイユと一緒に食べてもいい。チャーハンを作る時、ハムの代わりに納豆を入れるのもおいしいよ。また、フォークでつぶしてトーストにペーストし、薄く切ったトマトを載せてビネガーをかけると、アペリティフ(食前酒)のおつまみにも」とすぐに試せそうな例を挙げてくれた。

「そのまま食べても、マスタードやわさびを少し入れてもおいしい。特に、わが家の子どもたちは生卵をかけたものが好き」と、ヴィラットさんはドラゴン納豆の味に自信を持つ。写真はドラゴン納豆を使った、ミニトマトとアンディーブのカナッペ
© Natsuki Prado

コミュニケーションが上手で、お客さんの意見を積極的に取り入れるヴィラットさん。顧客の数は毎年確実に増えている。「本場、日本の味を超える」と言わしめるほどのドラゴン納豆の味と品質には、本物にこだわる、彼の真摯な姿勢が反映されているのだろう。

プロフィール

ローラン・ヴィラット・ド・ペフェイユー
Laurent Villatte de Peufeilhoux

1947年、フランス生まれ。25歳の時、青年海外協力隊員向けのフランス語教師として初来日。3年間の日本滞在を終えて帰国、三菱・住友・丸紅といった日本の大手商社に呼びかけ、管理職向けの住み込みフランス語特訓講座を開くなどして活躍。その後、南仏のドラギニャンに移住し、納豆作りを始める。1998年、再来日して茨城県水戸市を訪ね、納豆作りの技術を研磨。再び帰国後、納豆作りのためのアトリエを自宅に構え、本格的に製造と販売を開始。日本でフランス語教師をしていた頃に出会ったパートナー、シャンタルさんと共に納豆作りと販売に励み、現在に至る。