デジタル単一市場の構築―次代を切り開くEUの成長戦略

© European Union, 1995-2015
PART 2

デジタル単一市場構築に向けた戦略

28の加盟国、5億人の潜在顧客を有する巨大なデジタル単一市場(DSM)は、EU域内に限らず、世界的に見ても大きなインパクトをもたらすだろう。PART2ではDSMの具体的な内容とともに、日本に与える影響などについて掘り下げていくことにする。

3つの政策分野と16の主要施策で目指す新たなデジタル市場

DSM戦略は、欧州委員会が3つの柱として提唱する政策分野と、各政策に位置づけられた合計16の主要施策によって構成されている。

デジタル単一市場(DSM)構築に向け掲げられた3つの柱

© European Union, 1995-2015

第1の柱:EU全域での商品やサービスへのオンラインアクセスの向上
消費者と企業それぞれの立場からオンラインサービスや商品へのアクセス向上を目指す。この柱の背景にあるのが、EU域内のオンラインサービスが抱えるさまざまな課題だ。

EU域内でネットを通じたショッピングやサービスを活発にするには、取引ルールの統一や商品配送コストの引き下げなどが欠かせない © European Union, 1995-2015

欧州委員会によれば、EU域内で国境を越えて物品をネット販売している中小企業は7%しかない。また、「他のEU加盟国のオンラインショッピングを安心して利用できる」と感じている消費者は全体の38%にすぎないという調査結果もある。原因として、①加盟国間で異なる取引ルールや、国内配送に対して2倍から5倍以上となる商品配送コスト、②著作権に関して、他国のオンラインストアが利用できない場合や、購入したデジタルコンテンツが他国では利用できない場合がある――など加盟国ごとの商習慣や市場環境によって異なる制度に起因したものも多い。このような課題を解決していくために政策には、オンラインショッピングの際に適用される取引ルールの統一や商品配送コストの引き下げ、著作権法の見直しなどが含まれている 。欧州委員会では、物品やサービスを広くEU全域から選ぶことができれば、EUの消費者は総計で年117億ユーロ(約1兆5,800億円)を節約できると試算している。

第2の柱:高度なデジタルネットワークやサービスのための環境づくり
EU域内の通信インフラ整備のほか、検索エンジンやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などのオンラインプラットフォーム環境の改善、音楽や動画などのコンテンツ配信サービスに関する規制の見直しなどが含まれている。

EUでは高速通信ネットワークの整備のために2014年から2020年の間に総額200億ユーロ以上の投資を予定しており、インフラ環境の地域間格差の解消を図る。また、ネットビジネスにおいて中心的な役割を担っているオンラインプラットフォーム企業に対しては、市場における適正な競争が阻害されていないか、その企業活動の実態を調査し、透明性を高めるよう働きかける。具体的にはグーグルやフェイスブックといった大手の検索エンジンやSNSなどのサービスにおける、検索結果の表示方法や利用者データの取り扱い方法などが対象として想定されている。

第3の柱:デジタル経済・社会の潜在力の最大化

EU加盟国間でのデータ移動を妨げる不要な制限を解消することで域内のデータのやり取りを円滑にする。欧州クラウドシステムを立ち上げるほか、デジタル経済の発展に伴って必要とされる技術者の訓練なども盛り込まれている。また、新技術の標準化や各種デバイスやネットワークの相互運用性を図る。

特に欧州クラウド構想では、各国のサーバーに保存されたままの状態になっているさまざまなデータを安全にクラウド化し、近年取り組みが盛んなビッグデータ解析の観点からも活用できるようにする。各国企業や政府の抱える宝の山ともいえるデータをクラウド化することで、各国政府の様々な認証登録システムをEU加盟国間で共有する電子政府(e-government)の構築や、研究開発や新規ビジネスの創成に繋げる狙いだ。

3つの柱ごとの各主要16施策( )は実施期限

EU全域での商品やサービスへのオンラインアクセスの向上
1. 加盟国間を横断する電子商取引を簡便化するためのルール作り(2015年)
2. ネットショッピングにおける消費者保護を含めた規約の強化 (2016年)
3. より効率的で低コストな宅配サービスの整備 (2016年)
4. ユーザーの位置情報に基づく不正アクセス拒否(ジオブロッキング)の撲滅(2015年)
5. 欧州のデジタル市場における不当競争の実態の特定(2015年)
6. 現状に則しより統一された著作権枠組みの整備(2015年)
7. 「衛星およびケーブルに関する指令」の見直し(2015~2016年)
8. 加盟国ごとに異なるVAT税制に対応するための税務負担の軽減(2016年)
高度なデジタルネットワークやサービスのための環境づくり
9. 通信周波数の効率的な運用やEU全体での基準作りを盛り込んだEU通信規則の抜本的見直し(2016年)
10. 視聴覚メディアの配信に関する規定の見直し(2016年)
11. 検索エンジンやソーシャルメディア、アプリケーションストアなどオンラインプラットフォームに関わる総合的な調査(2015年)
12. デジタルサービスにおける個人情報保護に関するルールの構築(2016年)
13. サイバーセキュリティー産業との協力体制の構築(2016年)
デジタル経済・社会の潜在力の最大化
14. EU域内での自由なデータ移動を可能とする欧州クラウドイニシアチブの立ち上げ (2016年)
15. DSMの主要エリアにおける標準化と相互運用に向けた取り組み (2015年)
16. 適切なデジタル技術取得の支援とそれに伴う雇用機会の創出。加盟国当局がビジネスに関する登録情報を共有できる電子政府(e-government)に関する行動計画 (2016年)

 

「ユンカー委員長が説明する欧州デジタル単一市場」 (動画)

 

世界の企業も注目する巨大なデジタル市場

5 億人の新たなデジタル市場は、欧州に向けてコンテンツを発信する企業などにとっても追風になりそうだ  ©  European Union, 1995-2015

DSM構築はEU域内に限らず、グローバルな視点からも大きなインパクトをもたらすと予想される。関係各国やグローバル企業にとっては、統一されたルールの下、28加盟国、5億人の潜在顧客を有する魅力的なデジタル市場が誕生することになるからだ。そのためデジタルコンテンツを海外展開するIT企業や、EUにビジネス拠点を置く、もしくはEU企業とビジネスを行っている日本企業からはDSMに高い関心が寄せられている。

EUとしては、 著作権法や視聴覚メディアの配信に関する規定の見直し(施策6、10)は、日本のアニメや伝統文化などのクールジャパンコンテンツを欧州に向けて発信する企業にとって追い風になるとみている。また、市場拡大による配信力の強化はもちろん、配信ルールや著作権法の統一によるコスト削減につながることを期待している。もちろん、中小企業や一般消費者にとっても、DSMがもたらすメリットは大きいと予想される。ジオブロッキングの問題が解消(施策4)され、デジタル市場における不当競争が是正(施策5)されれば、EUのオンライン市場への参入障壁は低くなる。また、クレジットカードや利用者の位置情報による制限が解消されれば、EUのオンライン市場は日本の消費者からもアクセスしやすい魅力的な市場となるだろう。

デジタル経済の発展に向け連携を強化する日本とEU

これらの展開に呼応し、日・EU間では、連携強化に向けて官民挙げての取り組みが行われている。総務省と欧州委員会(通信ネットワーク・コンテンツ・技術総局)では、これまでも定期的に政策対話を行っている。本年3月23日~24日にはデジタル経済における重要課題について官民で意見交換を行う「第1回日・EU・ICT戦略ワークショップ」が総務省で開催された。同会合では、デジタル経済の発展を促すルールの共通化や、日・EU以外の第三国への市場アクセスに向けた取り組みの共有などについて話し合われた。日本の産業界を代表し、日本経済団体連合会(日本経団連)から国境を越えたデータ移転の重要性や個人情報の活用、さらに経済成長の両立などが提言された。6月10日には、同ワークショップの第2回会合がブリュッセルで開かれた。また、2016年にはICT分野における日・EU間での連携を継続・具体化させるための会合がブリュッセルで開催される予定だ。

単一通貨ユーロの導入や査証(ビザ)に関する共通政策を定めたシェンゲン協定の締結など、人、物、サービス、資本の自由な移動を進めることで、EUは発展してきた。リアルな世界の欧州統合に続く、デジタル世界の単一市場は、EU加盟国の競争力向上のみならず、ネットワークでシームレスにつながる「世界全体」に大きなインパクトを与えることは間違いなさそうだ。