多文化環境で働くことを選んだ2人の親日外交官

© European Union, 2020 / Photo: Keiichi Isozaki

駐日EU代表部で働く外交官を紹介するシリーズの2020年第1弾は、本年2月で発効1周年を迎えた日・EU経済連携協定(EPA)の履行をサポートする通商部のサラ・ゼンナーロ アトレ副部長、そして多忙なフロアEU大使の秘書を務めるデシスラヴァ・ゲレヴァ=ビヴェルさんの2人に、仕事や日本に対する思いを聞いた。

サラ・ゼンナーロ アトレ通商部副部長・一等書記官:EPAは貿易推進の新しいプラットフォーム

ゼンナーロ一等書記官は、駐日欧州連合(EU)代表部の通商部で、2016年から日・EU間の貿易推進にフォーカスした業務を担っている。着任当初からEPA交渉の妥結、およびその後の運用サポートを行ってきたほか、欧州企業、特に中小企業が日本市場へアクセスする際の障壁を撤廃することにも関わっている。

EPAは世界貿易の37%を網羅する野心的な協定で、最終的にはEUから日本への輸入に課される10億ユーロ相当の関税の97%が撤廃される。それによって日・EU間の貿易額は年間360億ユーロも増加する見込みだ。「EPAは、日・EU貿易で将来的に障壁が起こらないように協力する新しいプラットフォームとなります。この協定のおかげで、日本とEUは手を携えて、グローバルな貿易ルールを形成できるのです」。そしてゼンナーロ一等書記官は、「私が駐日EU代表部にいる間に、このような成功事例に関与することができて大変うれしく思います」と話す。

2004年からEUで働いているゼンナーロ一等書記官は、外交官になった理由として「多文化が共存する環境に魅力を感じた」ことを挙げる。「EUには24の公用語があり、実際に27の加盟国から職員が集まっています。EUという意欲的なプロジェクトの下、そこで生まれる一体感は何物にも代えがたいですね」と、この仕事の魅力について熱く語る。

4年目の日本滞在でも新しい発見のある日々

初めて仕事で来日したのは2012年。短い滞在だったが、すぐに日本のことが大好きになった。「超現代的な建物と古いお寺が共存する街並み。人々は秩序立っていて、とても礼儀正しい。謎めいていて芸術的な漢字を目にしたり、感動するほどおいしい食事を口にしたりするうちに、人生で何年かを過ごすには飛び切りの場所だと思いました」と振り返る。そして、東京の駐日EU代表部のポストに空きがあると知った時には、飛び付くように応募した。

しかし、着任した当初は、日本での新しい生活に戸惑うことも多かった。日本の地を踏んで数日後にスーパーマーケットへ行ったときの体験は、今でも記憶に残っている。「カラフルで何が入っているのか全く分からない商品がずらりと並んだ棚を見ながら、『本当にここで生きていけるのかしら』と、途方に暮れたことを覚えています」。

日本滞在も今年で4年目になるが、「まだまだこの国については、学ぶことがたくさんあります。私の母国イタリアとは文化的にずいぶん異なり、毎日のように新しい発見があります。いくら頑張っても、なぜ日本人があんなに納豆を好きなのかは、たぶん理解できないでしょうけれど」と笑う。

育児や家事は夫婦で協力

2歳半になる息子の母でもある、ゼンナーロ一等書記官。「世界中どこでも、働く母親というのは大変ですが、日本は特に厳しいですね」と話す。「日本では、幼稚園に入れる年齢が欧州よりも高いし、開園時間も短い。また、インターナショナルスクールの学費がとんでもなく高いのです」と嘆く。夫はビジネスパーソンで海外出張が多いものの、「彼は非常に協力的な姿勢で、育児や家事の負担をシェアしてくれます。それで何とかバランスを保っていられるのでしょうね」と感謝している。

現在は新型コロナウイルス感染症対策で控えているが、週末は家族で都内の公園や庭園に出掛けることにしている。旅行も好きで、念願だった北海道への旅は実現した。「できれば沖縄も訪れたいのですが、日本での任期も終わりに近づいているので、それまでに行けるかどうか……」と名残惜しそうだ。

デシスラヴァ・ゲレヴァ=ビヴェルEU大使秘書:オープンマインドで日・EUの相互理解に貢献したい

ゲレヴァ=ビヴェルさんは、現パトリシア・フロア駐日EU特命全権大使の秘書として、2018年9月に代表部に加わった。ブルガリア出身の彼女は、これまでベルギー・ブリュッセルにある欧州経済社会評議会(EUの諮問機関)や欧州委員会(同行政執行機関)で、さまざまな職務を経験。現・国際通貨基金(IMF)専務理事のクリスタリナ・ゲオルギエヴァ氏が欧州委員会人道援助担当委員だった頃にも個人秘書を務め、来日前にはアルジェリア・アルジェにあるEU代表部で働いていた。「仕事を通じてさまざまな国籍の同僚と親しくなり、外国に住んで新しい言語を学べました。このような素晴らしい経験は、できればぜひ皆さんにもお勧めしたいです」と屈託のない笑顔を見せる。

こうした国際的な働き方は、彼女が昔から抱いていた夢だったという。「私はブルガリアの小さな町で育ったのですが、世界を旅しながら多彩な文化を持つ人々と出会い、新しい言語を学びたいとずっと願ってきました。多様性に富んでいて、影響力のある国際組織で働けるというのは、私にとって大きなモチベーションでした」と顔をほころばせる。

欧州経済社会評議会で初のブルガリア人職員

ゲレヴァ=ビヴェルさんは、2006年7月に欧州経済社会評議会に初めてのブルガリア人として加わり、ブルガリア語の翻訳サービスの立ち上げに携わった。2007年には母国ブルガリアがEUに加盟。「EU加盟は、ブルガリアに大きな希望とチャンスをもたらしてくれました。両親の世代と違い、私たちは査証(ビザ)や役所の煩雑な手続きもなく、他の加盟国で自由に学んだり働いたりできるようになったのですから」。

EUが掲げる「United in Diversity(多様性における統合)」は大好きなモットーだ。「人々がより良い社会のために貢献する『大きな欧州の家族』だという思想を表しているから」。現在の大使秘書という仕事では、「国と国との協力関係を築くために、日本と欧州の習慣や文化、表現の違いなどを超えた相互理解を、オープンマインドでお手伝いしたい」と意欲を見せている。

故郷のように感じた日本

初めての来日は2008年。まさか日本人がブルガリアという国を知っているとは思いも寄らなかった。「日本人の多くが『ブルガリアといえば相撲の琴欧州、ローズウォーター、ヨーグルト』と私の全く知らなかった琴欧洲の名前まで挙げてくれたのには驚きました」と振り返る。

自分の予想以上に、ブルガリアに対して親近感を寄せている日本人に触れ、この国が好きになり、いつか住みたいと思うようになった。「ブルガリアから遠く離れているのに、まるで故郷にいるかのよう。東京のEU代表部で働ける機会に恵まれて、本当にうれしい」と喜ぶ。

今は控えているが、週末や休暇にはベルギー人の夫と一緒に都内を散策したり、国内を旅行したりするのが好き。お気に入りは、下町情緒あふれる根津神社周辺の谷中エリアだ。「私自身はあまり日本語が話せませんが、日本の人たちは私が言おうとすることを進んで理解しようとしてくれて、世界のどこよりもコミュニケーションを取りやすい国だと感じます」。

日本に来て1年余りの間に、山形県の鶴岡、宮城県の松島、岩手県の平泉などを訪れた。「どれも素晴らしい旅でした。田舎町では想像もつかないほど、温かいおもてなしの心に触れることができました。できれば、日本での任期が終わるまでに、全ての都道府県を訪れてみたいですね」と非常に意欲的だ。

※本記事内の掲載写真:© European Union, 2020 / Photo: Keiichi Isozaki

プロフィール

サラ・ゼンナーロ アトレ Sara ZENNARO ATRE
駐日EU代表部 通商部副部長 一等書記官

イタリア・フィレンツェの欧州大学院(European University Institute)で政治学の博士号取得。2004年にEUに入り、ベルギー・ブリュッセルのEU本部をはじめ、インド、シリアのEU代表部に勤務。2016年から現職。対日貿易政策・規制協力や、工業製品の市場アクセス、EPAなどを担当。

デシスラヴァ・ゲレヴァ=ビヴェル Dessislava GEREVA-BIVER
駐日EU代表部 パトリシア・フロア駐日EU特命全権大使秘書

ブルガリアのソフィア大学聖クリメント・オフリドスキ校で英語学の学士号および英語教授法の修士号取得。2006年7月に欧州経済社会評議会に入る。欧州委員会のクリスタリナ・ゲオルギエヴァ人道援助担当委員(当時)個人秘書、駐アルジェリアEU代表部などを経て、2018年9月から現職。